難波田史男著 終着駅は宇宙ステーション を読む
難波田史男
私が、個人的な感情も含めて最も好きな画家の一人である難波田史男。32歳という若さで亡くなった彼なのだけれども、彼の残した絵画作品には、どこかミロを彷彿とさせながらも、彼独自の感情世界があって、そこにとても同調を感じるが故に、私は彼の作品がとても好きなのです。日記
その難波田史男氏が残した日記を編集して一つの本として出版された作品が今回紹介する「終着駅は宇宙ステーション」。17歳の頃から28歳ぐらいまでに書かれた日記および日記帳に残されたデッサンがこの作品には収録されている。
揺れ動く感情
日記であるが故に、そこには、個人的な感情がいやというほどたたき込まれている。世界との接触の増大により、その摩擦によって刺激された感情が様々な思考へと展開されていく。その生々しさを痛いほど感じることの出来るこの作品は、確かに、彼の持っていたような感情は今の時代にはそぐわないかもしれないとは思いつつも、ある程度の人間にはやはり響くそれであるように思う、少なくとも私にとってはそうであった。学問、芸術、哲学
そう、17歳から28歳。彼が、学問から芸術の道へと踏み出して、そして、その芸術の理念とは何かということを深く追求し始めた頃の日記。そこにある感情は、私にとっては、とても同調を感じる物であった。実際、この日記に登場してくる芸術家として、ピカソやミロ、クレーやアンフォルメル芸術などへの言及、そして、文学者として、ドストエフスキーやヘッセ、ポーや安部公房、カフカへの言及、そして哲学者としてサルトルなどへと言及となると、私自身も今までの間にとても注目して読んだり見たりと鑑賞し、多くの物を感じた人々でもある。
同質
そこには、こういうとおこがましい物の、どこか自分と同質な物を感じるし、最初に難波田史男の作品を見たときの、何とも言えない感情は、こういったバックボーンお共有感もにじみ出ていたのかもしれないとも思う。その意味では、言葉を発しない抽象表現である絵画が、しかし、多くの物をショートカットして伝えうる物であるということの証でもあるように思う。
感情のかき混ぜ
一般的な感情に対する何らかの違和感などを持っている人には、そして、上述したような人々に強い感情移入を持つ人には、この難波田史男という芸術家にとても同調を感じるのではないかと思う。ちなみに、彼の作品はオペラシティー・アートギャラリーが多く所蔵していて時々所蔵品展として展示しているので、興味を持たれた方はチェックしてみてはと思う。
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