靉嘔のレインボーの深みを見た



靉嘔

靉嘔は、1960年代以降から活躍する芸術家。現在は80歳くらいだと思うけれども、いまも活動している。
そんな靉嘔は、特にレインボーに彩色された画風がよく知られていて、ふっくらとした外形上をもつ人物がレインボーにグラデーションで描かれている画像は、美術好きではなくても、見たことはあるのではないだろうかと思う。


網羅

その靉嘔の初期から現在までの作品を網羅する展示が木場の東京都現代美術館にて「ふたたび虹のかなたに」というタイトルの元、開催されているので、訪れてみた。2012年5月6日まで。


初期

靉嘔の初期の作品というのは、私は見たこと無かったのだけれども、この展示で初めて見て結構驚いた。
「悲劇よりも悲痛なるものの静寂」と題されたいくつかの作品。混乱した感情がそのままぶつけられたような作品で、後の感情を全て廃してあえて表面的な色彩や表現だけに絞り込んだ作品とは全く真逆の作品で驚きでもあった。逆に、靉嘔の作品の根底には、こういったどうにもならない感情の爆発があるのだと思うと、後の作品に対してより深みを感じることが出来る。


フルクサス

その後、徐々に活動を広げた末にニューヨークへ。そこで、アクションペインディングの影響からさらにインスタレーションへと手を広げる。そのことによって、フルクサスと活動を共にするなど。一気に活動の世界が広がる。実際この時期の作品にはまだ、レインボーは現れておらず、さらに、初期に現れ始めていた単純化された人間の外観を扱うような作品もない。このような時期を経ていたと言うことも、案外知られていないところであり、面白い展開である。


レインボー

そして、レインボーが現れる。元は、上記のアクションペインティングの影響からの発展なのだろうか。形状も、そして、感情も画面から敢えて削除し、光のベース要素であるスペクトルに落とし込まれた色彩のみによる世界。それは、多くのミニマリストが描いてきた単色や少ない色彩による表現とも異なり、また、様々な手法で乱雑に色彩をばらまいた表現とも異なる独特の世界でありながらも、無個性的でもある表現の発見だったのだろう。


埋め尽くす

そのレインボーにより描かれた様々な形態の作品に埋め尽くされた一角はかなり圧巻である。
また、その発展としてオリンピックの競技を描いた作品などは、逆にシリアスなアートの意味を大きく超えて、あまりにも純粋すぎるほどにポスター的な美しさになっている。初期のその苦悩のような作品からここまでたどり着いたところが面白いし、無の絶頂が美のみになる面白さがある。


発展

それ以降、様々な発展の中で、そこに般若心経を持ち込んでだり、オノマトペをもちこむなど、レインボーという発見がどこまでも広がりながら、しかし、その派手さの陰にずっとある無というのか虚というのが隠蔽されているのではと、ふと思い返してみたくもなる。このあたりが、展示の妙で、単に時系列で並べたようでもありながら、初期の作品の衝撃がうまく伏線となっているように思う。


暗黒

その無の究極が、ブラックホールと題された体験型展示。これは、敢えて作られた暗闇の中を手すりのみを手がかりに進んでいく作品。いわば、光の元素であるレインボーとは正反対にある世界をしかし、常に忘れてはいないことも感じられる。


圧倒

とにかく、そのレインボーな作品群に圧倒される。また、靉嘔の作品といつお単にそのレインボーな作品のみが記憶に残っているのだけれども、先述のように時系列に作品が網羅されていることによって、その外観とは異なる靉嘔の世界を感じることも出来るのはこの展示のすばらしさでもあるのだろう。
残り少ないですが、多くの人にお勧めの展示です。


関連リンク:
東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
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虹のかなたに―靉嘔AY‐O回顧
発売元 : 美術出版社
発売日 : 2006-11-09 (ハードカバー)
売上ランク : 778379 位 (AMAZON.co.jp)
¥ 3,990 在庫あり。
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