東京都現代美術館にて、トランスフォーメーション展



トランスフォーメーション

現在、東京都現代美術館にて、開催中で、2011年1月30日まで行われる展示、トランスフォーメーション展を見に行ってみた。
この展示、トランスフォーメーションというタイトルのとおりで、変身とか移り変わり、変態、合体など、物事が元来の形から変化していく様子や、本来とは異なる姿形への変態、もしくは、別のもの通しの合体などが扱われている作品が集められた現代美術の展示である。


変形

トランスフォーメーションという言葉は、いくつかのとらえ方があると思う。
まずその一つとして、変形。
変形という言葉で表現されそうな展示は、まずは、海におぼれた少女にエラが形成されるパトリシア・ピッチニーニによるビデオ作品や、小谷元彦によるどんどんと増殖してくさまを感じさせる立体作品。
いずれにも、その場に適応するエネルギーや育ち行き続けようとするエネルギーを感じさせる。確かに、ここでいう変形はただの成長ではなくて、そこに非線形な飛躍を持ったそれで、それをなしえる生命の力強さと不気味さでもあるのだろう。確かに、春先の新芽が生い茂っていく様にはグロテスクな生命力を感じる。生命とはグロテスクでもある。


合体

別の言葉を使えば、トランスフォーメーションは、合体とも言えるかもしれない。それは、異物同士をあえて混交させたような作品。
バールティ・ケールや、ジャガンナート・パンダ、シャジア・シカンダーの作品は、ある種の合体であると思う。いずれも、インドやパキスタンをその出自として持っていることもあり、多様な意味合いの合体を感じさせる作品。一つは、西洋文化東洋文化の合体。もしくは、近代的なものと歴史的なそれとの。もしくは、異宗教のそれ。さらには、性別的なもの。そして、人間と動物。それは、現代社会では、それらが時に、対立することもありながらも共存しているということか。それは、現代に対する批判のようでもあるし、一方で、価値の止揚を示しているようでもある。あるいは、そういう現実がそこにあると言うことを冷静に提示しているのか。ある意味では、強いアイデンティティ意識の持つ善し悪しの両面を示唆していもいると思う。
また、もう少し違う側面での合体は、AES+Fによるアニメーションか。3Dにより作られた世界では、戦いが行われているが、戦うものは、似た服を着ながら、性別も人種も異なり、武器も異なる。しかし、その対立関係は明確ではない。また、その世界を構成する構造物も様々な国を想起させる。世界が、合体しながら、合体しきれないということなのか。


別の側面から合体

より動物に着目した合体という意味では、マーカス・コーツによる動物的儀式の作品であるとか、ヤン・ファーブルの角などが生えた人間の顔の彫刻なども、合体の部類だろうか。それは、むしろ動物の姿や特徴を利用することで、動物的な感覚の鋭さに近づこうとしたり、あるいは、感情を表現する象徴としたりしているのかもしれない。


機械化

さらには、人物が機械とハイブリッド化するという変形もある。スプツニ子!によるある機能をもったメカをボディに装着する作品や、イ・ブルの機械とも生命体とも感じられる作品など。それらは、身体の拡張でもあるのだろう。その拡張によっても、克服できなかったり、あるいは、特徴をさらに強調させてみたり。機械化によって、むしろ、元来の身体の特徴を示してみせてもいるのか。


逆転

あるいは、逆転という要素もある。もう少し言えば、視点や立場の逆転。
サイモン・バーチや、ヤナ・スターバック、高木正勝の作品はそういったものだろう。むしろ、動物に見られているような状況であるとか、犬の視野、鳥的な色彩感覚。同じような日常に対して、視点や立場を切り替えることによって、別の感覚を提示する。


ねばりけ

そして、あとは、ねばりけ。スライム状というと言い過ぎかもしれないが、どのようにでも変形できそうなねばりけ、もしくは、変形の途中で現れる粘液のねばりけ。
マシュー・バーニーの作品などは、もちろん映像を通しての身体に対する言及という要素はあるとしても、そこに登場する粘液的などろどろとしたものに気をとられないではいられない。もしくは、ぐしゃりとした変形構造。生まれて間もないはかなさのようでもあるし、死にそうな弱々しさでもあるようだし、形態になりきれないもがきでもあるようだし、どのようにでも変形できる柔軟性でもあるようだし。
同じようねばりけは、ガブリエラ・フリドリクスドッティの作品。怪物でもあるかのような不気味な生命体。なんともいえない。


面白い

ほかにも、もう少し作品はあって、上記のような表現だけではうまく表現し切れてはいないけれども、様々な意味でのトランスフォーメーションを感じることの出来る展示。試しに、私は上記のように分類してみたけれども、これは私の勝手な感覚。もっと、面白いとらえ方はいくらでもありそう。なので、本当に面白い展示。
そもそも、生命というのは変化するからこそ存在するのであろうし、それこそが、時間軸も含めた四次元の中に我々が生きてると言うこと。時間=変化でもある。なので、このトランスフォーメーションというテーマはある意味では普遍的。だけれども、その普遍的で、ある意味大上段なテーマでありながらも、堅苦しさや違和感などがなく展示が収まっているのは、ここに出展している作家の作品のみならず、展示そのものもすばらしいと言うことだろう。とにかく、いろいろなことを自由に感じることの出来るすばらしく面白い展示でした。


マシュー・バーニー

個別の作品に少し言及すると、私の感覚では、マシュー・バーニーの作品が中でも別格かなというところ。彼のクレマスターシリーズからクレマスター3がビデオで流されているのだけれども、やはり、その部屋ではこの映像をずっと見ている人が多かった。私自身は、数年前に、クレマスターシリーズ大上映会で見たので、軽くみるだけに留めたのだけれども、時間的に余裕があれば、じっくり見たかった。
ちなみに、マシュー・バーニー奥さんは、ビョークです。


高木正勝

あと、個人的にとても気に入ったのは、高木正勝の作品。極彩色にも感じる映像の独特なスピード感の一方で、そこにうつる子供の様子。言葉に出来る何かを感じたわけではないのだけれども、その映像の変化の新鮮さや、美しさ、並びに、そこに流れる音響もとても美しく、なんとも心地いい体験だった。


アーカイブ

また、2Fには、アーカイブと題された展示もあるのだけれども、これがまた面白い。いろいろな部族の儀式的な扮装であるとか、アニメや映画における変身。妖怪伝説などへの言及や、近代技術によるロボットの発明などに言及して、人間が創作してきた様々な変身の姿がいろいろと紹介されている。


映像多数

というところで、かなり堪能出来る展示でした。現代美術の展示としては、今年最も満足したものかもしれない。
なので、とってもおすすめな展示なのだけれども、良くも悪くも映像作品が多数です。私自身も、実際、すべての映像を見通すことは出来なかった。何度か足を運ぶというのも手かもしれないし、一日じっくり時間をとって鑑賞するべきかもしれない。慌ただしい感じで行くと、ちょっと時間が足りないと思う。ただ、映像を通してなどの体験的な展示なので、展示テーマは堅そうだけれども、あたまでっかちな展示ではないのでいいと思います。


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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
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発売日 : 2010-11-06 (単行本)
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