六本木森美術館にて、チャロー!インディア



インド現代美術

六本木森美術館にて、現在開催されているのが、インド現代美術展「チャロー!インディア」で、2009/3/15まで。で、おそらくこれが私にとっての今年最後の美術館訪問。


文化と現代

ある程度の狙いもあってなのだろうけれども、インドの伝統的な、文化的な部分を感じさせる展示から、インド的な物からは距離を取った作品まで、満遍なく展開されている。で、これはキュレーションによるのか、どうかはわからないのだけれども、いわゆる20世紀的な西洋近現代美術を感じさせる作品は、ぽっかりと欠落していて、伝統と現代がダイレクトに接続されているという作品構成。
というよりは、むしろ現代美術が伝統を参照している作品が主体と表現するべきか。


破壊か保持か

伝統というものは守っていくべきなのか、破壊して進んでいくべきなのか。
伝統を参照している作品がそこに存在するというのは、それは、どこかにそういった問題点を内包していると捉えるべきな場合が多いと思う。一方で、我々は伝統を破壊しなければ進化はできない。一方で伝統を完全に無視することで進むことが出来る訳でもない。表面的には、こういった事がこの展示の全体を貫き通しているようにも思う。


とはいっても

とはいっても、その範疇だけで語ってしまうのは、作品を小さなところに押し込めてしまうことになって、適切ではない。一つ、大きく気になった作品は、映像作品で、静止画と動画を組み合わせたような映像。この作品の本来の狙いはよくわからないのだけれども、この動画の中で中心となる人物だけ、静止画になっていたり、若干だけ残像を残しながら動くのみなのだけれども、これが示唆に富んでいると感じた。人は、それぞれ個性と呼ばれるようなものを持っていて、それは自由の象徴のように使われるけれども、一方で、自分自身がそこに捉えられているともとれて、人はなかなかその自分の範囲から外に出ない。それがつまり習慣と呼ぶべき物であって、周りはそれぞれに蠢いているけれども、なんやかんや言う本人が最も動いていないと捉える事も出来るのではと示唆しているように私にはとれた。この指摘はとても重要。ただ、一方で、人はそうやって変化していないようでありながらも変化していく。例えば、雪だるまのように、同じように転がっていても、いずれ球が大きくなる。その直径の変化度合いとその変化の角度をプロットすると、螺旋を描いていくと思うのだけれども、まさに人の変化とは、このような螺旋状であって、あるときには、ある部分に大きく近づき、あるときには大きく離れる。だけれども、一定の範囲からは逸脱しない。それを制御している中心軸があって、その中心軸はそれほど自由気ままではないという状態。そう、確かに動的でありながら性的であると、それは、まるで不確定性理論によって表現される物質の根源状態ともアナロジーな関係といえる。


あれっ

で、随分と話が逸れてしまったけれども、こういった地域を限定した展示ってのは、一方で、文化的な伝統的な切り口の楽しみ方が出来て、一方では、時間軸による切り口の楽しみ方が出来て、縦横に鑑賞平面を構成できるのがとても面白いところ。
しかし、自分自身がインドのことをホント表面的にしか知らないことをつくづく感じさせられたというところ、つまり、文化的なところに対して、もう一つ突っ込んだ感想を感じ取れなかったところに、そういう自分を感じた。


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