MOTアニュアルにぎりぎりで行ってきた



恒例の

毎年恒例になっている東京都現代美術館のアニュアル展、MOTアニュアルに、今年は、とても慌ただしかったのに加えて仕事の過労により、休日動き回る元気が無くて、タイミングを逸しているうちに会期最終日になってしまったのですが、なんとか元気を振り絞って、というか、暖かすぎる陽気に勇気づけられて、行ってみた。


装飾

で、今年のテーマは、”装飾”。これが、また意外なというか、思い切ったテーマ。なので、会場の雰囲気もなんとなく今までとは異なる感じ。現代美術の混沌が充満しているというのではなくて、とてもあっさりとした印象の展示。
このアニュアル展は、現代美術のトレンドを紹介する展示というのが、私のとらえていた印象で、個人的に好きか嫌いかは別として、同時代をまとめて感じるのには、いい展示だと思っていたのだけれども、正直言って、今回の展示は、これが現代を代表しているのだっけ?という印象が残った。


たんたんと

テーマが装飾であるが故でもあるのだろうけれども、展示に感じるものは実に淡々としたもの。まさに装飾であって、そこに表出しているもの以外は意味をなさないと言うべきだろうと、つまりは、眺めれば、それで終了といえば、そうである。もしくは、そこに表出しているものに驚嘆してそれで終わりである。


開き直り

これって、ある意味では現代美術の、開き直りというのか、ついに行き詰まって居直り強盗になったというかという風にも感じる。美術には、深い意味はないという一般的な意見に対して、時に強く存在意義を主張し、時には、それがまさに無意味であるというミニマリズムアンフォルメルな展開を見せてきていたのだけれども、それを装飾としてしまうことで、全てをあきらめてしまったようにも感じる。所詮全ては、装飾にすぎないと。しかし、ラスコーの壁画と縄文式土器の模様とは、そこで分化があったととらえるべきではないのだろうか?この装飾というとらえ方は、ある意味では美術を否定することで新たな展開を図ろうという意気込みとも感じるのだけれども、一方では、美術の自殺とも感じる。


岡粼乾二郎

その自殺っぷりをより強く印象づけるのは、常設展の「岡粼乾二郎」。結局装飾の流れで見ると、この作品群もつまり装飾に過ぎないということになる。であるのに、タイルのそれぞれに言葉を持たせて全体で意味を持たしているというのは、もはや陳腐であるとさえ感じる、あの装飾を肯定してしまったとすれば。私は、むしろ、あの装飾の展示は、もう一つ納得していないので、この作品を陳腐とは思ってはいないけれども。


とらえかた

まぁ、とらえ方があるのだろうとは思う。私のとらえ方が適切ではないのだろう、きっと。それとも、もしかすると、これは美術館側からの芸術家への強烈な叱咤激励なのかもしれない。現代美術の未来が壁紙でないことを信じている。




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