現代アメリカ最大の謎の文学者、トマス・ピンチョンのヴァインランド



トマス・ピンチョン

バートルビーと仲間たちでも登場した寡作にして、謎めいた作家、トマス・ピンチョン。その作家の、ヴァインランドを今頃読んでみることにした。


17年ぶり

その前の作品、"重力の虹"から17年ぶりというのだから。恐るべし。
舞台は、なんとなく未来。そこで、ある家族を中心にしたよくわからない事件を追いかけていくような展開。舞台は、未来的ではあるものの、現代の様々な文化がむしろわざと言及される。そして、時間軸は、前後しながら、その時々の物語の中で、舞台や主人公が変化しながら、ある父子とその妻であり母、そして、その妻であり母と関係するある重要人物。つまりは、その壮大な追いかけっこが、ナンセンスなほどの大きなスケールで展開される。


ナンセンス

そう、この作品全体を貫いているのは、まさにそのナンセンスだと思う。例えば、この対立軸と捉える事のできる父と重要人物。しかし、その存在の格差というのか、住む世界の違いが大きすぎて、そもそも本来なら対立軸になり得ないはず。そして、それぞれの登場人物が吐き出す言葉も、それを取り巻く舞台も、ナンセンスな物だらけでかつ、物語に対して重要な記述なのか、それとも重要でないのかも不明。さらに、リアリズム的な描写のようで、SF的な描写のようで、だけれども、大きくいうとコメディーになってしまいそうなそんな描写。


ポップで破天荒

そのナンセンスは、ある捉え方をすれば、ポップで破天荒という表現も可能かもしれないけれども、必ずしもそうではないというか、物語の結末にしても、それなりの終局を迎えていて、単純に壊れた物語を演出しているわけではなくて、ある程度で巧みに制御をかけている。
ここが、この作品の恐るべきところ。


書く意味

ちょっと強引だけれども、メタ文学的に捉えれば、これは、物語であったり小説という形態や、ハリウッド的なハードボイルドな展開に対する強烈な揶揄とも捉えられるような期がする。膨大に浪費される様々な描写は、それによって、描くことの無意味さをあからさまにしているようでもある。へんな表現をすれば、ハリウッド的に表現されたサミュエル・ベケットと言えなくはないと思う。


ただの作品ではない

だから、最近ある日本人作家の悪い影響なのか、前衛的なふりをしながら、単純に時間軸を混乱させたり、ちょっとナンセンスなところを入れれば、かっこいい前衛小説的な様子になると思っている作家が多くなってきていると思うのだけれども、そんな作品とは完全に一線を画していて、全くもって、別次元で描かれたすばらしい作品と捉えるべきなのだと思う。


否定の文学

まさに、バートルビーと仲間たち的で、文学に諦めを感じながら描かれた作品と捉えてしかるべきだと思う。無意味さに苛まれながらも、一方で物語としての秩序をしっかりと保っているというのは、これは驚異的な精神力によって描かれた作品と思う。ふつうなら、途中でどうせ意味がないと投げ出したくなりそうなのだけれども、これをしっかりと完成させて、そして、あたかも物語りとして成立しているかのように振る舞える状態にまで仕上げたというのは尋常でない事だと思う。


残念ながら

ただ、残念なことに、トマス・ピンチョンの作品は結構入手困難で、その代表作とも言える”重力の虹”は、中古でないと入手困難。さらに、結構高かったりする。再発を期待したい。

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ヴァインランド
発売元 : 新潮社
発売日 : 1998-12 (単行本)
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