あまりにも圧倒的な超文学「重力の虹」
トマス・ピンチョン
現代アメリカ文学の頂点に立つといって過言ではない作家、トマス・ピンチョン。作品数は決して多くはなく、そのどれもが大著であり、難読。しかも、メディアにはほぼ登場しない謎の人物でもあり。そんなトマス・ピンチョン作品の中でも、代表作であり、最も難解ともいえる代表作「重力の虹」を読んだ。
大著
まずは、その圧倒的な分量に読むかどうか悩むそれ。ハードカバーで各600ページを超す枚数で上下巻に分かれた大著。びっしりと詰まった文字は、文学マニアでなければ、それに挑もうとさえ思えないほどのもの。その圧巻の世界は、読みいればいるほど、さらに圧倒的になっていく。
ロケット
ロケットが落ちてくる。重力の虹という表現が意味するところは、これかとまずは単純に理解してみる。そして、すぐに猥雑な世界へと引き連れられていく。勃起とロケットというあまりにも安易な対比。悲劇と悲劇が交差する。その質の違いが最初から、読者の理解する価値観を混乱へと導く。そのロケットをめぐる物語のようでもある。
第二次大戦。ロケットの開発を行うドイツ。
その周辺
しかし、そのロケットをめぐるうちに物語は、そして、主人公も二転三転し、どんどんと情景は変化し、やがて、時代さえも横断していく。もはやどこにいるのかも、いつの話なのかも、だれの話なのかも分からなくなっていく。ロケットをめぐり、民族の絶滅への物語であったり、スパイの暗躍であったり、純粋にロケットを飛ばすための科学技術であったり。
膨大
そこには、膨大な情報量と膨大な知識があふれている。そして、上記のように膨大な登場人物も。いずれが歴史的事実であり、いずれが虚構なのかさえも区別がつかぬまま、そして、現実とはまさにそうなのだといわんばかりに全く把握することができない世界が広がる。それが人によって描き出された世界であるにもかかわらず。散乱と終焉
そして、まるで物語は散乱していくかのようでもある。読めば読むほど世界の収集がつかなくなり、何をどう読んでいるのかもわからなくなってくる。そして、この者が拉致自体がどこに行こうとしているのかも。
しかし、物語は、急きょ回収されていく。終盤のページになると、それぞれの物語が、突然半ば強引に畳まれていくようでもある。
架空なのか
その畳まれようによって、自分がこの物語をどこまで理解できていたのかさえもわかるなくなり、読者側もまた、自分の中に折り合いをつけて、その混乱に終止符を打つしかない、もしくは、途方に暮れて終止符を打ちたくなる。それに呼応するかのように、物語は現代にやってくる。メタ文学の様相を呈してきて、物語の分解が始まり、そして、登場人物の分解までもが始まる。ここでもまた、どこまでが事実でどこまでが作り事なのかが、多次元的に混乱に陥るが、そんなことは気にせず、物語自体は、平静を装っている。
発射
そして、ついに、ロケットが発射される。その最後の瞬間。物語が右往左往しているうちに、ロケットの被弾に始まった物語が、ロケットの発射と被弾へで終焉を迎えようとする。ロケットをめぐる陰謀渦巻く世界がここに終焉するとともに、しかし、それはきっと終焉していないのだろう。
新たな火種
そして、ロケットは、武器であることから宇宙開発という代理戦争の道具へと変わっていくの周知のとおりだ。そこへの言及をあえてしないままに、その事実を痛烈に描いているようでもある。圧倒的
いや、まったく理解できていない。無理やり、理解したつもりなっている。でも、現実世界というのもまたそうであるに違いない。その現実が現実であるが故もまた、ここに描き出されているようにも感じる。
まさに、圧倒的な文学作品である。
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