森村泰昌・なにものかへのレクイエムを東京都写真美術館にて



森村泰昌

セルフポートレートのシリーズで知られる芸術家、森村泰昌の「なにものかへのレクイエム -戦場の頂上の芸術-」と題された展示が、東京都写真美術館にて開催されているので、早速見に行ってみた。5月9日まで。


レクイエム

レクイエムという言葉がこの展示のタイトルには行っているのだけれども、森村による作品シリーズ、セルポートレイトは、ある意味では、その作品コンセプトそのものに、既に、レクイエムという概念が入り込んでいると捉える事も出来る。


セルフポートレイト

この、セルフポートレイトは、森村泰昌自信が、有名な人物や絵画作品などに扮装して、それを写真であったり、映像であったりに収める作品シリーズ。つまり、その扮装を行うという時点で、その模倣者に対する意味を保持していると言える。


歴史的に

このタイトルと、そして、その作品から感じるのは、この”なにものかへの”の”なにものか”は20世紀であるのでは、ということ。確かに、20世紀というのは、多くの世界を巻き込むような事件があり、そして、世界的に知れ渡る有名人も生まれた。20世紀は、グローバル化が進みゆく過程のなかで、そして、現在に至る細分化が始まる以前の世界であったと思う。そうであるが故に、物事が世界的であったのではと。


戦争、発展、芸術

そこには、戦争があり、そこには、発展があり、そして、そこには芸術があり。特に20世紀を象徴するのは、戦争だろう。その要素は、この展示にも多分に描かれている。その最も端的なものは、チャップリンの独裁者を模した映像作品にある。個人的には、ここで訴えている内容というのは、あえて、陳腐なことを言っているのではと思うほどの陳腐な内容を訴えているのだけれども、しかし、少なくとも、戦争という20世紀の象徴が、つまり、近代国家の勃興とその争いにあったと言うことから、21世紀には、それが、個人であると共に、地球というレベルへ視点が変わりつつあることを示唆していることには間違い無いだろう。


過去

そして、過去を模倣することで、過去への再考を促す作品としての、セルフポートレイトは、確かに、このレクイエムというタイトルにふさわしい。模倣されていないそのものに対しては、既に価値観が固定されてしまっていて、それに対して、先入観が全ての価値観になってしまう。しかし、模倣されたそれを鑑賞者が眺めたときには、どうだろう、既に固定されている価値観が一端崩れて、そして、そこから、その価値対称を、再考することになる。これこそが、まさに、森村泰昌作品の面白さであるといえるだろう。
そして、その再考の過程こそがレクイエムであり、過去をただ否定するのでもなく、ただ肯定するのでもない、再考がそこに新たな何かを感じさせる手伝いをしてくれるのではないかと思う。


面白いです

というところで、まぁ、面白い展示です。特に、森村のセルフポートレイトシリーズをご覧になったことの無い方は、一度体験してみると何か、意表を突かれるような感覚を得ることが出来るのではと思います。




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