フランシス・ベーコン展の最終日に行ってきた



フランシス・ベーコン

フランシス・ベーコンは、アイルランドの画家で、まさに20世紀を生き抜いた人物。その、フランシス・ベーコンの回顧展が、東京都現代美術館にて開催されていて、2013年5月26日が最終日だったのだけれども、何とか間に合って見に行ってきた。


身体

この展示は、身体ということに着目して、全体が構成されている。
確かに、フランシス・ベーコンの作品には、身体性というのを強く感じる。湾曲した筆の簡素なラインによって描き出される様々なものの姿は、その筋肉の躍動そのものを感じさせる。また、それのみ成らず、作品の対象についても、異なる身体が融合したようなモチーフも多くあり、このあたりにも身体を感じる。


表情

一方で、表情の方は、よくわからない。多くの作品で、顔面は歪んだままの状態で、目鼻立ちすらもはっきりとはしない。ただ、一方で、口だけは詳細に描かれた作品も多くあり、さらには、何かを叫んでいるかのように感じさせる口も多い。
このあたりには、口から絞り出されたものとして、上記の身体とは対照的に、感情が虹いだしてきているようにも感じる。


舞台

また、多くの作品に、立方体の枠が描かれている。これは、上記の身体と感情を持つ人物と対象と成る空間性を描いてるともとれる。また、多くの作品で、そこに描かれている人物の社会的立場を象徴するものが描かれているところから、その空間性のみならず社会的なものも含めた環境を描いているのではと思う。


演劇性

さらに、この立方体の枠については、演劇性を感じるところもある。最初に身体性を書いたが、この身体性の延長線上として、演劇性があって、そして、この立方体は、演劇の舞台とも取れるように思う。
それは、この展示では、土方巽とペーター・ヴェルツの演劇作品が映像として展示されているところにも現れているだろう。
フランシス・ベーコンの作品には、絵画を超えた動きが感じさせられるところがあり、これが大きな特徴なのだと思う。


いわば

いわば、このフランシス・ベーコンの作品には、表出するものとしての身体がインターフェイスとしてあり、内面の感情と、そして、外部環境という異なるデータベースがその身体というインターフェイスを通じて接続されているというその状況を端的に描き出されているのだと感じる。
とても、面白い展示でした。


関連リンク:
フランシス・ベーコン展 Francis Bacon|東京国立近代美術館
関連サーチ:
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