坂本龍一、高谷史郎 Life



音と映像

メディアアートセンターとして、重要な施設である山口情報芸術センターYCAM)にて、坂本龍一と高谷史郎により制作された音と映像による作品、Life。その後、ICCにても展示されて、そちらの方の展示は、私も鑑賞することが出来た。
天井からつるされた水をたたえたアクリルのケースをスクリーンにみたてて、そこに天井から映写される映像を、下から寝転がって眺める。そして、アクリルケースの横につるされているスピーカーから音が流れ込む。それが計9個(だったと思う)。それぞれの音や光が微妙に干渉しあいながら、暗がりにて。寝転ぶ人々、不思議な光景。


DVD

その様子をDVDとして、まとめた物が今回紹介する物。それぞれの映写されていた映像をつなぎ合わせた状態になっているのだと思う。


冷静に

やはり、展示状態でみるのと、家でDVDで見るのには、雲泥の差がある。ただし、それは感傷の形態のちがいによる印象のちがいであって、それぞれにそれぞれの良さがあるようにも思う。展示の時は、その場の雰囲気、展示の仕方の特異性などですでに感情が支配された状態のなか、眺める映像は、その主張の部分をじっくりと読み取るというよりも、感覚的な受け取りの方が強かった。一方で、DVDをこうして見ると、そこにある様々な主張を改めて、冷静に受け取ることが出来る気がする。
世界で起こる様々なこと、一方で、自身の精神の中で起こる様々なこと。それらと対峙しながら生きていること。理不尽な事への問題提議なのか、そして、われわれはその理不尽さを追求する力を持つのか。一方で、自身の中に抱える多くの感情があって、何処まで、社会的に生きているのか、何処まで、自分の人生を生きているのか。
生物的に生きている、感情的に生きている、政治的に生きている。そして、結局日常を生きている。その日常を生きていることが、もしくは、無責任であるのか、この日常を形成している周囲の環境とは。


自己

自身にも感じるのは、年々、利己的になっていると言うこと。エゴというよりも、無関心か、もしくは、そうあることで生存をなんとか保持しているという感覚もある。競争のなか、自己責任が渦巻く中、大きな政府は消え失せて、小さな政府へと変化して、それとともに、多くの物も、小さな感覚に細分化されて、誰が大局を眺めているのだろうか。ただ何とか、自己を繋げることが生命であるのか。それとも、むしろそれが生命であるのか。
そんな風に、改めて、自分のあり方を考え直してみる。正しくあり続けることは出来ないことを十分に理解した上で。


関連リンク:
YCAM 山口情報芸術センター - YCAMポータル
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