さて、今年はどうしたものか
今年はじめは
さて、2008年一発目は、年始にふさわしく、肯定的な内容からスタートしようと思う。ということで、題材は、梅田 望夫氏の近著「ウェブ時代をゆく」。
といっても
明確に言及するわけでhなく、この本を読みながら思ったことを少しという感じで。個人的には
最も重要な論点は、”変化を受け入れながら、変化とともに生きていくことが必要だ”といったような話の部分だと感じた。ある種の人は、年齢に限らず、この部分がどうっても理解できないのだと感じることはしばしばある。で、これが理解できないとどうなるかというと、単にやがて時代遅れになるだけではなくて、圧倒的なスピード感もしくは危機感の欠如に陥ってしまって、現時点では優位にありながら、そこで本来やるべきことを怠って、やがて敗北への道をたどってしまうのではと思う。実際、大企業でそれなりの業績をあげていると、危機意識が欠如してしまって、本来やるべき競争力アップが行われず、やがて競争力を失ったときには、どうにも打つ手が無くなるというのはしばしばあるし、たぶん、現時点でも気づかない間にそのくだり坂を滑り落ちつつあるところもあるのではないかと思う。それに対応するというのは、たぶん変化の認識とその認識に従った危機意識ではないかと強く思うことは、実際にある。となると、個人の心がけとして、常に自身の変化と世の中の変化を感じながら、その変化を利用しながらどの方向へ進むかを意識しながら生活すべきなのだと思う。ただ、一方で、それは不安定な状態なので、だれもがそういった生活ができるとも思わない。だから、たぶん二極化がこれからは、顕著になるのだと思う。ただ、生活を保持しようとしても、その生き方が本当にできるほど、これからの社会が安定しているのだろうかという懸念もあるのだけれども。ただ、それも、この本に書かれているように、個人的にどの選択をするのかだけのことになるのだと思う。
で、それも、個人の志向性によるのだろう。ただ、重要な要素として、”現在に不満を持っているほどネットに可能性を感じる”ってのがあって、変革を期待しそれを進めていく層とそうでは無い層という感じで分離して、そのまま二極化になるのだろうなって思ってみる。そして、そうやって、知らないうちに、どこかでは自分は変化を受け入れている層だと思っていたのが、変化を拒否する層に変化してしまうのかもしれないと、そんな風にも感じてみる。つまり、それが多少つらい生き方であったとしても、守りに入って逃げ切れるような時代ではないというようにも思う。
"Only the Paranoid Survive" は、確かに素敵な言葉だ。
個人の力
そして、結局は個人の力なのだと思う。そして、その個人の力を引きずりおろすようなことをしない状況が必要なのだと思う。そして、執着心の強い個人によって何かが生まれるというのは、実のところ研究施設などにおける過去の状況とは根本のところでは変わらないようにも思う。ただ、ネットとコンピューターがある分だけ、その個人の力が開けてきているのだと思う。ということで、今年もますます加速して、自分の世界を拡張しながら世界と接触していければと思ってみる。
関連リンク:
My Life Between Silicon Valley and JapandLINKbRING.Labo.dicmulsearch.梅田望夫
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