Art2.0 というごまかしのタイトルで(その2)

1.はじめに
(その1)では、現代美術のおかれている環境を分析し、整理してきた(つもりである)。ここからは、その現状をふまえた上で、今後の現代美術をはじめとする芸術がどのようにあると本当に便利なのだろうかということについて考えて行きたい。
だが、その前、(その1)のなかで、最後に四権分立という考え方を提示したが、どうもその登場に唐突感があるのと、そうあるべき理由がうまく表現し切れていないとも思われるので、その点について、まとめていきたい。


2.芸術の独立性・自立性
2.1そもそもの発端
これを説明するには、そもそもの私自身が芸術を好むことになった要因を説明する必要があるかもしれない。私自身が、芸術を心底から愛するようになったのは、比較的精神的に不安定であった状態の時、芸術と接することによってそこに何か突破口のようなもの感じたが故であった。その感覚を適切に表現する言葉は今のところ見つけることができていない。それは、共感というものでもないし、癒しというものでもない。どちらかというと、混沌とした感情を混沌としたままとらえればいいのではといことを発見したと、そのような感覚であったと思う。おそらく、私自身の芸術体験がそこから始まっているが故に、”わからない”ということも、当然のこととしてというよりも、むしろ不可欠な条件としてとらえることができるのだと思う。そして、もう一つ芸術の中で不可欠な条件として、それが冷たい存在であることである。冷たい存在であるが故に、たとえ、それに傾倒したとしても、そこに頼り切ることはできない。結果として、鑑賞者に自立を促すことになる。つまり、ある種の共感を示しながらも、それ以上の進入を見せないものであることこそが芸術としての必要条件だと思っている。そして、芸術がそのような立場のものとなるための条件としては、作品がよりなるべくどこかの何かに頼ることを否定して、汎用的な立場を維持し続けるということであろう。
2.2鑑賞者と作品の微妙な関係
さて、この最後の条件が四権分立へとつながる重要な要因となる。それは、つまり、特定の何かのためにそれらは使われるべきではないということになる。鑑賞者を受け入れながらも、鑑賞者を突き放すような作品となるためには、そもそも、作品そのものが自立した状態となっている必要がある。そのためには、作品そのものが独立した状態である必要があるということだ。そして、何にもよらない立場からの表現として社会に主張するということ、それは芸術にのみ可能なものかもしれない(個人的には、それは学術によっても可能ではないかと考えている。メタの部分で捕らえれば、芸術と学術は同じと言えるのではないだろうか?)。
2.3芸術の立場
さて、芸術がそのような立場を維持するということがなにを意味するのか?そのような存在が世の中に存在することによって、世の中が均衡状態を保てるというのが筆者の主張である。政治的な問題に関しては、時に様々な利害関係があり、現実的な解決が最優先される。その場合に、我々は、確かにそれはやむを得ないかもしれないという消極的賛成をせざるを得ないと感じてしまう。そういった状況に対しても意義を唱えることができる可能性をもつのは、芸術しかないと思う。もちろん、芸術は芸術としてひとくくりにできるような単純なものではない、その中には様々な主張があるだろう、しかし、それはそれとしてやはり対抗勢力としての価値を維持するのだと思う、政治に多くの政党が存在するのと同様に。そして、このように主張する理由の背景には、近年のLIVE8の活動や、それから、少し前では、ピカソゲルニカである。
ただ、そこまで政治的な意味合いまで持たせないとしても、単に存在の独立性・自立性という観点を中心に物事を捉えようとする勢力が一定してあることによって、ある状況にある人間の精神のとっては救いになりうると思う。
2.4四権分立は大げさな言い回し
では、そういった存在がなぜあえて四権分立とまでいって大きな立場をしめる必要があるのだろうか。それは、簡単にいうと、誇張しているだけである。芸術があるべき場所が今ひとつ曖昧であるからこそ、いっそのことちゃんとした立場を維持することでその足下を強化するべきではないかと。そして、強化された足下にたつそれであれば、より存在感が増すのではなかろうかと。なので、言い換えれば、ある種の独立性・自立性を維持すべきだと言うことである。

ということで、遠回りになったが、その独立性・自立性の維持のためには、一方で、①収益的な自立、他方で、②商業的価値観からの自立、ということの両立が必要となる。であるためには、ある程度の税金(もしくは企業が社会福祉として提供していると考えているような資金)の投入は必要となってくる一方で、そこにのみ頼るという状況は避けてある程度の自立性を維持する必要がある。その方法論は近年のweb2.0という言葉で代表される不思議な力学を利用できないかについて考察したいとつながるわけだ。
さて、これでまた少し物事を先に進めることができたと思うので、いよいよ次回から本論に入りたい。


次回へと続く・・

 予定:自由空間における芸術

関連リンク:
Art2.0 というごまかしのタイトルで(その1)