国立近代美術館にて”空虚の形態学”を観た



空虚の形態学

ちょいと時間があったので、東京国立近代美術館に行ってきた。今回のお目当ては、「空虚の形態学」と題され展示。この展示は、企画展ではなくて、収蔵作品を中心にあるテーマをもって構築した展示。なので、常設展会場の最後にあるギャラリー4での展示で、常設展のチケットで鑑賞できる。ちなみに、私は知らなかったのですが、毎月第一日曜日は、常設展が無料らしく、たまたまタダで鑑賞することが出来ました。


相反する

で、なぜに展示に行ったのかというと、なによりこの「空虚の形態学」というテーマのセンスの良さに惹かれたわけです。空虚という無に対して、しかし、相反するイメージを持つ形態学という構築をつなぎ合わせるというテキストセンス。そして、この空虚と形態学的な感覚は、現代美術が根底で持っている大きなテーマであり潮流であるとも思う。


展示

空虚さは、ある意味では表現を産み出すための根源的エネルギーでもあると思う。そして、作品が構築されていく。それを端的に感じさせてくれる作品が並ぶ。
密集しながらも空隙が残る絵画、消失点へと消えていく絵画、黒一色、陰影、消しゴムで描く、表皮の彫刻、そして、フォンタナによる切られたキャンパス。
欠如を感じさせる作品。それを鑑賞するということ。我々の中にある欠如が、その作品を鑑賞していればいるほどにあらわにされていき、一方で、構築してきたと思っていた自己の基盤をも揺さぶる。欠如していても構築はあり、構築していても欠如がある。しかし、その揺すぶられは、我々の動揺を誘い、落ち込ませるわけではなく、むしろ、自己が自己の存在にうすうすと感じていた危うさをむしろあらわにしてくれることで、そこに同調や同情といった感情を産み出してくれる。そう、我々はそこにある空虚と構築を眺めることで、むしろ自己に素直に向き合うことが出来るのだろう。
私は、予想以上にこの展示に感銘を受けたのです。


芸術の機能

我々は、多様な価値観の、そして、あまりにもの多様性の中で、ある一つの選択を余儀なくされながら存在している、極端な表現をすれば。それを行うときには、そこに迷い無く信じ切る方法論もあれば、そこに迷いを感じながら苦しみながら進むという方法論もある。我々は時に、状況においては、前者を選択することができず、後者を選択することになる。その状況にあると、一体何が救いとなるのか。それこそが、空虚と構築の矛盾に対して突破的な何かを提示する芸術であると思っている、私は。我々の不安をむしろあらわにするということ。そして、この”空虚の形態学”という展示は、そのような芸術の機能をミニマムな形で適切に表現仕切った展示だと思う。すばらしい展示ですので、一度多くの人にじっくりと鑑賞していただきたいと思います。


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