崩壊感覚



1.ギャラリー4
東京国立近代美術館の常設展の最後の部屋となるギャラリー4は、その時々でテーマを決めた展示をしている。で、これが、なかなか渋いテーマを元に種々の作家の作品を展示していて、非常に興味深く、私自身はかなり、ここでの展示を毎回楽しみにしていたりする。今回は、崩壊感覚、で早速鑑賞に行ってみた。


2.平山郁夫
ちなみに、同時期に開催されている特別展が、平山郁夫展なので、東京国立近代美術館自体は、とても混雑していた。
そんな混雑は無視して、そして、常設展分だけのチケットを買って、常設展に向かう。常設展も、何度も訪れているので、見慣れた作品ばかり。とはいっても、若干展示が変わっていたりするので、少々早歩きながら、一通り見て回る。
そして、ギャラリー4へ。


3.崩壊感覚
今回のテーマ、崩壊感覚。
崩壊というと、精神的な崩壊もあるし、物質的な崩壊もある、生命体の崩壊、つまり、死、もあるし、関係性の崩壊もある。
そういった、いくつかのタイプの崩壊の様を描いた作品が並べられる。
戦争が引き起こす崩壊から、物質の崩壊へと向かい、自己の崩壊へ、時代の崩壊、そして、災害による崩壊。それらを象徴する作品群。
それらの崩壊には常に、個人の精神的崩壊が含まれていると思う。人間のもつ感情という物。その感情が持つ、崩壊の危険性が、しかし、どこかで人間独自の知性の、負の側面であるようにも思う。そう、崩壊の中に悲しみを感じる存在として、生きる事が人間として生きる事であるとしたら、例え、どのような崩壊に直面したとしても、なお、堪え忍ばなければならないのかもしれない。そして、そのようにして、確かに、今人間が存在しているのかもしれない。その崩壊が自分に起因している場合もありながら。自己の崩壊を堪え忍ぶ。そして、時に自己の力だけでは堪え忍べないときに、芸術に力添えを望みたくなることもある。そして、その崩壊の認識と共有と主張が、堪え忍ぶ力になるという場合も多々あるように思う。


4.震災
一連の阪神淡路大震災の写真。私の記憶にも強く残っているその様子を改めて写真として、そして、報道ではなく、展示としてみる。一体これは、何を意味するのか。記憶の再帰を促しているのか、感情を超えた淡々とした記録なのか。ふと、そのときに感じた、あまりにもの、無力感と、そして、現実が、留まる事を知らないと思われた現実が、このようにして、留まってしまう事もあるのだという、どこか安堵にも似た感覚を、当時感じたそのような感覚を再び思い出した。
5.希望
一連の展示を見ながら、思ったのは、崩壊感覚というテーマなので、思い切って、もっと照明を落とした展示方法でも良かったのではないかと。その暗さのなかで、崩壊という暗さと対峙する、そうやって、崩壊という感覚を強く感情に感じる事が、きっと、希望に繋がると思うので。


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dLINKbRING.Art.東京国立近代美術館
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