フリオ・コルタサルの傑作短編集 すべての火は火



フリオ・コルタサル

フリオ・コルタサルは、アルゼンチンの作家。ラテン・アメリカ文学ブームの中でも注目されていた作家のひとり。今年が、ちょうど生誕100年にあたるということで、ちょっとしたイベントであったり、改めての出版であったりということもあったりで、少しばかりですが、話題になっている作家。


すべての火は火

で、そのフリオ・コルタサルの短編集「すべての火は火」を読んでみました。
独特な味わいのある世界を描いた作品ばかりで、時代背景や場所的な背景も、明確に把握できないような中庸な雰囲気に満ちた中、少し変わった場所で、少し変わったことが、少し変わった文体で表現されていく。


美しき発散

このブログでも、何度か書いたことがある気がするけれども、短編の魅力というのは、単に、長編に対して短いということではなくて、短編であるからこそ、行間であったり、起承転結の完成度出会ったりというところに、大きな隙間を設けることができるというところ。要するに、完結させるのではなくて、どのよいうにうまく発散させて、読者を余韻の中に引きずり込んでいくかというところを描けているかどうかが、短編の魅力になる。
その意味で、このフリオ・コルタサルによる作品は、見事というべきで、まさに、美しき発散である。何か物事が起きる。それは時に悲劇的にも感じられるそれではあるものの、しかし、その悲劇がまさに起こり、そして、傷口が広がっていかんとするところで、物語は終わりを迎える。


通り過ぎる悲劇

それは、ある意味では、我々の日常の中にも悲劇というのはさまざまな側面で存在するものの、しかし、それは、時に自然と流れ去ってしまうものに過ぎない場合もまたある。
そうやって、さまざまな悲劇が通り過ぎながら、むしろ、我々の生活というのは成り立って行っているといってもいいのかもしれない。
そんなことさえも、思わせるほどに、ごくごく自然な文体で、大仰に表現することはなく、コルタサルは一風変わった世界を見事に表現している。


文体

また、文体についても、特異な手法をつかっていて、二つの場面が同時に描かれているかのような文体をとっていたり、文体の主語をとる人物が変化していったりと、文体のテクニックによっても、世界を表現しているところもまた、文学としての面白さがあるといえる。


傑作

ということで、傑作短編集の一つとして、ぜひとも、文学ファンには堪能していただきたい一作です。

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発売元 : 水声社
発売日 : 1993-06 (単行本)
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