東京都現代美術館「風が吹けば桶屋が儲かる」



MOTアニュアル2012

木場の東京都現代美術館で、毎年開催されるMOT ANNUAL。今年は、「風が吹けば桶屋が儲かる」というタイトルの元に開催されているので、早速行ってみた。


インスタレーション

その年と、それから次の年の美術の傾向を捉えるのが、このアニュアル展の位置づけだと思う。そのこともあって、毎年少しずつ傾向が変化して行っていて、一時期は絵画優勢の時もあったけれども、今回は、完全にインスタレーションを中心とした展示。


演技

いや、インスタレーションという言葉も最早十分ではなくて、私自身の印象としては、演技という感じ。芝居という意味のそれともまた異なり、なんというのだろうか、演じている。
いや、実際のところは、ここで展示されているものの多くは、むしろ、そのままを表現しようとしているのだと思う。ハプニングな要素を持たせたりもするが、結局は日常に近づこうとしている美術の姿が現れている。しかし、そうやって日常に近づいてそのものを表現しているようなのだけれども、それが、演技でしかないというか、もっとひどい言い方をすると、茶番にすぎない。そう、この展示で痛烈に感じたのは、やっぱり美術は茶番に過ぎないのかもしれないと言うこと。


カントリーロードショー

その端的なものは、カントリーロードショー。作家の世代からしたら、あっけらかんとして作っているのか、真意が全くよくわからないけれども、結局不快感しか感じさせないこんな展示をなんで展示しているのだろうかと、どうあがいても私には理解できなかった。結局かなりの時間を取られて、茶番につきあわされるだけだという。


自己完結を超えて

一時期、いろいろなところで、自己完結という言葉を使った批判がなされた。美術も、その一つではないかと思う。結局だからなんなんだ。それが世の中にどのような影響を与えるのかと、強く存在に対して疑問を投げつけられるという状況。そして、美術もまた自己批判としてそれを問い。無意味に対して対決を挑んでいった。近年では、羅列型展示によって、網羅による意味の消失とそこから滲む意味に意味を求めた時代もあったと思う。しかし、結果として、やはり、何か不足感があったのか。


フィギュア

そして、なんというのか、フィギュアで遊ぶかのような世界へと美術は逃げ込んでしまったのではないかと、去年と今年のMOTアニュアルを見るとそう感じてしまう。中途半端な自己をさらけ出し、作品として完結することを放棄して、誰かに、理解されることすら拒否してその場の中途半端な面白さに身をゆだねてしまう。


商品

ちょうど、この展示の説明にある一文が、とても皮肉だ。「わずかに以前とは違う状態を作り出す」。しかし、美術は、鑑賞者の何かを変えるという以前に、そこには、時間とお金を投資してやってきた鑑賞者に対して、報いるという最低限の義務があるはずだ。それすら果たすレベルにない作品ではないだろうかと、あれらは。


もっととがろう

日常の切り売りも、ちょっとしたハプニングも、無理矢理作る物語なんて飽き飽きしている。しかも、それが、マスタベーションを見せつけられるぐらいに、破壊と衝撃をもったものだったらまだ、許せるが、この展示のような、こちらからアプローチしないと目に入らないけど、いざ見てみると、どうでもいい飲み屋の会話を聞かさせただけだったみたいな、中途半端なそれは、もはや批評のレベルにはない。MOTよもっと頑張ってくれ。


関連リンク:
東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
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