平穏な狂気「籠の中の乙女」



籠の中の乙女

ヨルゴス・ランティモス監督というギリシャの監督による「籠の中の乙女」と題された映画を見てきました。シアターイメージフォーラムにて。


狂気

はっきり言って、狂ってます。外界から隔離された家の中に暮らす一家。不思議な育てられ方をする子供たち。その状況設定からすでにくるっている。言葉すらも、異なる意味として教えられてもいたり。


エスカレート

状況はどんどんと悪化していく。そして、ますます理解不能の状況へと陥っていく。あまりにもの狂気に、画面を直視することすら困難でもある。
何とも言えない、後味の悪さは、少し前に紹介した「気狂いぴエルの決闘」にも劣らない。


アート的

しかし、映像は、アート的でもある。画面の切り方や、出演者の演技など。おかしな育ち方をしたおかしな感じが見事に演技されているところはすごい。また、さらに、結婚祝いにおけるしまいによる奇妙なダンスは、かなりきている。


どうだろう

しかし、どうだろうか。極端な状況設定をおいた映画。感情に訴えかけるというのを超えて、感情をかき乱しにかかるような演出。サイコスリラーという感じもする映画でもある。ここまでの状況設定にまでなると、本当に何かを描き出せているのだろうか?私には、なかなかそこのあたりが理解しきれなかった。


衝撃的な

近頃、たまたま私が見た映画がそうなだけなのかもしれないが、狂気を極限まで描くような作品が、ミニシアターの映画では多いような気がする。しかし、それはあまりにも話題性に頼りすぎているのではないのだろうか?それとも、ミニシアターの市場が小さくなったがゆえに、一部の特定の集団が好むものしか、日本では上映されなくなったが故なのか?


拒絶反応

正直言って、拒絶反応が先に立って、この映画を評価することができない。一方で、こういった映画は、その拒絶を超えたことが何か、鑑賞者のセンスのように思い込み、無理から絶賛する人もいるような映画だと思う。しかし、それは、自らまっとうな映画評価を避けてしまっている状況ではないのかとさえ感じる。こんな映画を撮ったことはすごいと思う。しかし、本当に撮られるべき映画だったのだろうか?また、上映されべき映画だったろうか?


飽和

正直言って、このタイプの狂気を扱って人間の本性を暴いたというようなエクスキューズ付き映画はもう十分なのではないだろうか?先述したが、近頃のミニシアターの映画は、そもそも、いい映画が上映されなくなっているが、ますます、狂気に身をゆだねすぎている作品が多くなってしまっている。これでは、ますます映画ファンはいなくなるのではないだろうか?
そして、さらに、こういった狂気の演出は容易に飽和してしまい、さらなる刺激を追い掛け回すような結論にしかならず、そもそも、何を表現しようとしているのかというところからはかけ離れて撮影者と上映者の自慰に終わる危険性がある。


味わえる映画

というところで、どうも、映画を見に行くのはしばらくやめようかとそんなことさえも感じた映画だった。いや、この映画そのものが悪いわけではない。文脈としてとらえたときに、これ以上踏み込むべきではない表現へと傾倒してしまっている状況に異議を唱えたいだけである。
4,5年まえぐらいまではまだ、年に2、3本は味深さに心の底から満足する映画に出会うことができていたのだけれども、ここ2,3年は全く駄目だね。いい映画が恋しい。


関連リンク:
映画『籠の中の乙女』公式サイト
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