アルモドバル監督による「私が、生きる肌」を見た



アルモドバル監督

Talk to her」 などで知られる巨匠、アルモドバル監督。その最新作「私が、生きる肌」が公開されているので、早速見に行ってみた。
アルモドバル監督の作品はというと、様々な境遇の中にありながらも、自身の価値観を大切にして力強く感動的に描く作品が多いように感じていたのだけれども、この作品では、さらに、特殊な境遇の中に生きることを描き混んだようなより強烈な印象を残す作品となっている。





私が、生きる肌

主人公は、豪邸に暮らす整形手術の名医。そこに、何故か監禁されているかのように暮らす女性がいる。ただし、監禁という言葉が指すような強制感はなく、むしろこの女性は豪勢な部屋に暮らす。ただし、外には出ることが出来ないようでもある。


複雑化する

この始まりの雰囲気には、奥深い陰謀や苦悩などが織り込まれているようには全く感じない。むしろ、善意のみが感じられると言っていい。
しかし、物事は複雑化していく。やがて、この主人公の兄弟であることが明らかにされる男がこの屋敷に侵入する。すると、この女性にまつわる第一の奥深さが明るみに出る。その本人ではない人間が整形により同じような顔になっているだけであると言うこと。
しかし、それだけにことは終わらない。この屋敷に住む使用人であり、この主人公とそして、実のところ、この侵入者の母親である女性の告白が始まる。かつて死亡した妻。そう、とらわれの彼女そっくりの妻。その妻をめぐる兄弟の関係。


とどまらない

深まりはそこにとどまらない。話しは、6年前にさかのぼる。妻の死の真相。そして、この主人公にいた娘の死さえもが明らかにされる。
そこから、さらにこの話しの複雑さがと絡み合いが明らかになっていくのだが、そこから先は言い過ぎなのでやめておこう。


悲劇

いろいろなところに陰謀が感じられ、いろいろなところに悲しみが隠れている。時に、それは目を覆いたくあんルような事実であるし、同情しても同情しきれないほどの悲劇のようにも感じられる。
そして、その悲劇が、他者の悲劇を誘発してしまい、誰もが、ただの被害者にすぎないわけでもなく、ただの善意のみの人間であるわけでもない。それぞれが、それぞれに傷を抱え、そして、悲劇に飲み込まれていく。


生と愛

そこには、その悲劇にずっとつきまとうのが、生と愛だろう。誰もが、結局必死に生きようとしている。そして、誰もが例え過剰であるとしても、誰かを時に過剰なまでに愛している。しかし、それが過剰になるがあまりに。もしくは、与えられた境遇が残酷であるが故に。


誰を同情するのか

果たして、ここの登場人物の誰を同情すればいいのだろうか。それすらもわからなくなるほどに被害と加害が交錯しあった世界がそこには描かれている。正義という言葉の力の不十分さを感じさせるような世界がそこにある。そして、ただ、人の生きることへの、そして、愛することへの執着の強さをただ、受け止めるしかないのかもしれないとも感じてしまう。


美しさ

そのような価値の転倒を見事に演出している映画構成もすばらしいのだけれども、さらにすばらしいのは、映像の美しさ。家具の配置や屋敷に飾られた絵画の数々、そして、出演者のまとう衣装。そして、それらの美しいものたちを見事なフレームワークに納めていくあたり。その構成と併せて、映画表現を存分に出しているあたりは、アルモドバル監督のすごさを改めて感じないではいられない。


面白さも

ということで、非常に面白い映画でした。また、映画としては二転三転するので、純粋な筋の面白さもあります。映像美の堪能も含めていろいろな人に見ていただきたい作品であると感じました。


関連リンク:
映画『私が、生きる肌』公式サイト
ペドロ・アルモドバル - Wikipedia
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