ウリポな文学者レーモン・クノーの地下鉄のザジを読んだ



レーモン・クノー

さて、今回紹介する作家は、レーモン・クノーという20世紀のフランスの作家。文体練習という一風変わった同じ文章を永遠と様々な表現手法で書くという作品がよく知られる作家。
この作家は、ウリポという新しい文学表現、例えば数学的な構造を持った文章を産み出すなどといった表現、を模索する文学実験グループの一員でもあった。ちなみに、このウリポには、ジョルジュ・ペレックうやマルセル・デュシャンも在籍した。


コレクション

そんなレーモン・クノーの作品を刊行していくシリーズ、レーモン・クノー・コレクションが、水声社より刊行開始されている。で、その中で、とりあえず、「地下鉄のザジ」を読んでみることにした。


地下鉄のザジ

この地下鉄のザジは、クノーの作品の中でも、最も一般受けした作品であるとのこと。一方で、一般受けするということは、いかにもな実験文学的な要素は薄いと言うことでもあるのかもしれない。


読みやすい

たしかに、読みやすい作品である。この作品は、ザジという少女が、母親の元を離れて少しの間伯父さんのガブリエルに預けられて、そのザジがガブリエルと行動を共にする道中で発生した様々な事件が描かれるという作品。


ドタバタ

で、この道中で起こることが、いわばドタバタコメディーのような感じのもの。なので、読む途中でいろいろと深読みする要素はないといっていい。上述のように実験的文学とりくんでいた作家の作品となるとどうしても深読みしてしまおうとするのだが、むしろその姿勢をあざ笑うかのように、一見ただおもしろおかしげなコメディーな展開に終始する作品であり、さらに終盤に行けば行くほどそれがエスカレートしていくというところも、如何にもドタバタコメディーである。


しかし

しかし、ここに潜むのは、むしろ、その深読みをあざ笑う無意味さの意味なのだろう。とにかく、この作品は様々な側面で、強く意味の捉えにくさを感じさせる。たとえば、途中で通る町並みにしても、その建物や地名の指摘において、登場人物が適当なことを言っているのか本当のことを言っているのかわからない。さらに、ある登場人物は、物語全編わたって、様々な姿で現れてくる。また、主要人物のガブリエル伯父さんはホモであると指摘されるし、最後にはその妻が男として描かれたりもする。また、トリと人間が入れ替わりさえもする。
そう、全体が単なるドタバタコメディーであるかにみせておいて、しかし、それを形作っている様々な部分が、どうもはっきりしない。


夢なのかメタなのか

そして、時々、これを読んでいるとこれは全て夢という設定なのではないかと疑いたくなったりもするし、メタ文学の要素を感じる部分もある。
そして、上記の不確定性とこの夢的なメタ的な部分から、この作品を文学というものの虚構性をあえてむき出しにした作品であると捉えるのは、読み過ぎだろうか。


物語の暴走

作者が勝手に設定した場面で好きなようにいろいろなことを起こすことの出来る物語。そして、設定が少々あやふやな部分があっても、それに気づくことなく読み進めることが出来てしまうそれ。それは、ある意味では物語の暴走を促し、本質的な前提を無視して表層だけを捉えてしまいがちな現実の感性を指摘しているようでもある。実際、この作品が多くの人に読まれる作品となってしまったことが、皮肉にそれを照明しているのかもしれない。


どうなのだろう

というのは、やはり、読み過ぎなのだろうか?
いずれにせよ、とても読みやすい作品なので、どんな人でも読んでみる価値はあると思います。
実際、私にとっては久々に気軽に読むことの出来る作品で、いつもは一月単位で掛かる読書があっという間に読了できる作品でした。


関連リンク:
blog 水声社 » Blog Archive » 《レーモン・クノー・コレクション》刊行開始!
レーモン・クノー - Wikipedia
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