レーモン・クノーの「人生の日曜日」を読んだ
レーモン・クノー
レーモン・クノーは、ヌーヴォー・ロマン直前あたりに位置づけられるフランスの小説家。「文体練習」が有名な作家で、実験的な文学表現を志す「ウリポ」に在籍していたことでも知られる。また、シュールレアリズム運動の人々とも交友を持っていた。
人生の日曜日
その、レーモン・クノーの作品は、現在水声社から「レーモン・クノー・コレクション」として、シリーズ刊行されている。そのうちの「人生の日曜日」を読んでみた。たんたんとした
のっぺりとした物語は、レーモン・クノーらしいそれ。ドラママティックとは無縁すぎる展開。あるそれなりの年齢の女性が軍人であった男を見初めたところから始まる。おもわずドラマティックな展開にしたくなる恋愛劇からして、のっぺりとしている。あっさりと結婚した二人。その二人を結婚させるに当たり関与した、この女性の妹夫婦とこの二人を中心として、彼らが住む街を基本の舞台に物語が展開していく。
依然として
結婚した後も、また、静かな日々が続く。何故か男性一人で行った新婚旅行。そして、その最後の行程で、葬儀に参列していた妹夫婦と奥さんに再会する。浮気があろうと、お店がうまくいかなかろうと。変わりない淡々とした展開が続く。そして、もちろんそれは、どこかで変わることはなく、最後まで変わらない。この男が再び招集されて、そして、戻ってくるその最後まで。
時間
時間は、この物語全体で一つのテーマといえる。最も端的に登場するのは、主人公の男性ヴァランタンがお店で時間をどのようにしてすごそうかと言うことで、時計とにらめっこをするところ。時間が意識するほど、有り余っている様子。そして、過ぎゆく時間と過ごす時間についての、ヴァランタン自身の言及。緩やかに流れるたんたんとした物語が、この時間を時間として過ごすという言及とシンクロしていて、このあたりにも時間を時間として感じることの出来る状況の意義を示している。戦争の狭間
時代は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間のフランス。もうまもなく、第二次世界大戦が始まるのかという時期。戦争に対するじんわりとした不安と戦争のない落ち着いた日々。まさに、上記の時間に対して余裕を感じるような態度というのは、この戦争との対比として鮮やかに浮かび上がる。
また、戦争というプロパガンダあふれる時代に対して、激情とはほど遠い淡々とした表現スタイルは、穏やかながらも力強い反抗ともいえる。
このタイトルにある日曜日というのも、そのあたりとの対比から来ているのかもしれない。
穏やかな日々
そう感じると、この今の日本の穏やかな日々を連想させるような、「人生の日曜日」。一見ただ読むと淡々とした日々を描いた物語に過ぎないのだけれども、そのことの持つインパクトをむしろ感じ取りたい、そんな作品。関連リンク:
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