IFF2011で上映中された「あなたはここにいる」がすばらしすぎる



IFF2011

イメージフォーラムが展開している映像の祭典、イメージフォーラムフェスティバル2011。多種多様な映像が紹介されていて、出来ればその多くを体験したいところなのだけれども、時間的制約もあって、私は、ほとんど体験できぬままでした。とはいいつつも、やはりその一片だけでもと、ダニエル・コックバーン監督による「あなたはここにいる」を観た。


ボルヘス

作家ボルヘスインスパイヤされて制作された映画というだけあって、抽象的な存在に対する議論が一見全く関係のない、けれども関連性を持つ世界のつなぎ合わせによって、むしろ立体的に謎が構築されていくというすばらしき表現がなされた映画でした。
私自身は、実のところ、まだ、ボルヘスの作品は読んだことはなくて、ボルヘス的世界とどの程度の近しさを持ってこの映画が描かれているかと言うことは議論できないのだけれども、個人的な印象では、安部公房箱男のイメージにも近いと感じた。


波とポインタ

印象的な講演からこの作品は始まる。波の映像が映し出される。そして、そこに、赤いポインタが指し示される。そのポインタを無視して、波だけをみることができるだろうかと、その講演者が問いかける。これこそが、まさにこの映画の問いかけでもあるのだろう。一見、ランダムな世界のはずである波の映像に、ポインタが現れると、ついそのポインタに目を奪われてしまう。若干の動きを持つ平等であるはずの世界が、しかし、一カ所だけの注目に集中してしまう。この世界の象徴的姿。あふれ出す情報があるにもかかわらず、一つの情報にすべての集中が集まってしまう。しかし、この象徴的姿は、ネガティブな問題点ではないと言うことは認識しておくべきであろう。それは、民主主義という自由平等な社会を実現しつつあるが故に、生まれた新たな問題であって、そして、インターネットという情報の平等化すらも手に入れつつある現代であるが故の出来事であるのだから、むしろ、ポジティブに捉えるべき問題点であることは忘れてはいけないことだと思う。


誰でもある私

そして、私。同じ名前で表現される、同じような行動をとる性別も人種も異なる私。パスワードを忘れて自分のPCにすら入ることの出来なくなった私、それどころか、事故で死んでしまっていたかもしれない私、さらには、自分が住んでいたはずの部屋に入るための鍵がわからなくなってしまった私。継続していくはずの私が途絶える。そして、その存在理由がわからないどこへも続いていないように見える扉がビルの壁に張り付いていて、それの存在の疑問に捉えられてしまい、その意味を必要以上に追いかけ始める私。
この”私”という存在に対する言及は、養老孟司さんの唯脳論を思い起こさせる。何故脳は、昨日の私と今日の私を同一人物として認識することが出来ているのか?


規則

そして、行動が、あるコールセンターによって支配されている街の中を動き続ける人々。街で拾った様々な映像をアーカイブする人。中国語を読解するための書籍によって、ただひたすらに、自分は理解せぬままにその書籍に導かれるがままに中国語を読解する人。何事も見通すことの出来るコンピュータの目を作りだし、そして、その目によって人々を救い、しかし、結局その人々の目に同じ映像を映し出させた人(そのコンピュータの目が赤いのはポインタの赤を思い起こさせる)。断片的な挿話的映像が次々に現れてくる。
ここで、ただ、ルールに従おうとする人々が、いくつもの挿話によって描かれる。そうすることで、何かが解き明かされるはずであると。しかし、一体何が解き明かされるのか。アーカイブはやがて破綻する、ただ、混乱が起こるばかり。単純作業の中で、一体私とはと、中国語を機械的に読解したとしても、単純作業に困惑することとはと。そして、コールセンターは、仕分けしきれなくなって、同じ場所に人を導いてしまう。


そして

そして、それぞれの挿話は複雑に絡み合って、無理矢理につなぎ合わされる。そのいびつささえもが、この複雑な情報化社会における人の存在を象徴するようでもある。そして、謎の扉にたどり着いた人は、その謎の扉から逆さまに落下する。事故を免れたはずだったのに、結局事故に遭ってしまう人の握りしめていた球体とは。解き明かそうとしても、解き明かすことの出来ない謎の中で、波を構成する水滴のような存在である我々は、つまり、それでも、ここにいる。こういった場所にこうして、ここにいる。結局多くのことが謎のままであるこの場所。


消える個、消えない個

地球儀を眺めても、そこには、あなたはいない。エンディングの曲の歌詞もまた意味深長。この世の中で、個が消えていくと感じることもしばしばであろう。だけれども、民主主義によって、むしろ個は消えなくなったはずではないのか。個人の主権が奪われていた時代はその個が消えているのか否かという議論すらなされなかった時代であろう。
そして、この個が消えていくのかいかないのかを議論することの出来るこの場所に我々は存在できているのだと、冒頭に述べたように、むしろ、ポジティブにこの現実に向き合うべきではないだろうかと、「あなたはここにいる」というこの事象について。


これこそが

こういう表現手法、私大好きなんです。一本道ではとても表現することの出来ない世界を、複数の挿話を微妙に絡ませながら構築することによっt、多次元的に描き上げる手法。ただ直線的に観ると混乱してしまいそうだけれども、それらを自らの脳で再構成することで、その立体感と、そして、立体化したときに必ず生じる破綻とが意味する世界が理解できてくると言うその表現方法。本当、箱男を初めて呼んだ時の興奮を思い起こさせるようなそんな映画でした。見事と言うよりほかないです。


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