資生堂ギャラリーにて、建築のたわごと



石上純也

銀座の資生堂ギャラリーにて現在開催中の展示、「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」を見てきた。
この展示、建築家 石上純也氏による作品展示で、非常に小さなオブジェにて建築の概念を広義に展開した展示。


数多く

その小さなオブジェは、長机の上に並べられている。その長机が10テーブルほどあって、そのかくテーブルに5〜10くらいのオブジェが置かれている。
そして、それぞれの小さなオブジェによって、建築の概念を拡張させて、概念のみによって作り上げられた、いわば夢の世界が展開されている。


机上の空論

私には、しかし、これらは、机上の空論としたうつらなかった。もしくは、建築の戯言。夢物語の中だけで、理論を構築して、そして、それを表現してみせる。実際にある現実世界などは、すべて無視してしまって、夢物語だけで建築の概念を展開させているのではと。


傲慢な建築

そして、これは、建築というのが、実は傲慢なオブジェであると言うことを知らしめてしまっているのではないだろうか。建築というのものは、世の中でも、この上ない支配者主義のものである。つまり、出資者がすべての実験を握っていて、そして、その出資者をいかに喜ばせるかを競うもの。それは、太古の昔、ピラミッドの時代から変わらない。
そう、そして、その出資者が喜びそうな夢物語を語って見せて、そして、ちやほやされることが、建築家の最大の目的ではないだろうか。


公共

いや、そうやって、建築家を悪者にしようという思いはないのだけれども、これほどまでに大々的に平然と机上の空論を堂々と並べられると、そう思わないではいられない。おそらく、建築系学生にとっては、興味深い展示だろうけれども、私自身は、こんなことをやっているようでは、公共物である建築という側面にたいして、横暴も甚だしいのではないだろうか。
こういった、戯言的なものは、余裕のある人々、出資者的な人々はきっと喜ぶだろう。そして、建築とは、結局そういうものなのねと。
ある意味では、その負の側面をあからさまに感じさせられたというのが、私の個人的な意見。


あくまで

まぁ、でも、これはあくまで私の個人的な意見で、このような世界観が私には受け入れがたかっただけだと思う。実際に、いつになく、盛況な展示であった。しかし、これも、内輪にすぎないのではないだろうか。もちろん、多くのものは、内輪受けがもっとも重要な要素である。しかし、なんかを見失ってはいけないと、そうとも思う。


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