ジョルジュ・ペレックの「さまざまな空間」という重大な指摘



ジョルジュ・ペレック

ジョルジュ・ペレックは、実験文学集団「ウリポ」のメンバーでもあるフランスの文学者。実験文学集団の所属であるので、当然、その文学作品は、物語性のみではなくて、その作品の執筆手法にもこだわったもの。有名な作品で、最近邦訳で新たに出版された「煙滅」は、原語では”e”を使わずに書かれた作品。


さまざまな空間

そんなジョルジュ・ペレックの作品から今回読んでみたのは、「さまざまな空間」と題された作品。ページに始まって、世界に終わる作品。そう、様々な空間とは、小さな空間からそれを包括する次のレイヤーに当たる空間を次々に描写して行く作品。パージから始まると、ベッドがあって、寝室があって、アパルトマンから、集合住宅へと・・・。


それだけ

ある意味では、それだけの作品ともいえる。ここには、物語も無ければ、大きな教訓もない。ただ、かといって、ただの言語遊戯かというとそうでもないだろうとも思う。
作品の構造としては、そうにすぎないのだけれども、そのことが指し示すのは、この空間の構成。そこにあるレイヤーとしての反復性と一方で、反復しないそのレイヤーのみの特性がそこにある。


類型的

そして、物事を類型的に、そして、執拗に描写する様というのは、おそらく一般の読者にはほとんど理解不能なものだとは思うのだけれども、この描写は、私としては、好きでたまらないものでもある。サミュエル・ベケットの作品は、この作品以上の類型的を超えた順列組み合わせの世界がそこにあるけれども、そこまでではないにしても、この文章は私個人的にはとても楽しい。


テキストの戯れ

そう、これはテキストの戯れという要素は確かに強いと思う。そして、そのテキストの戯れを楽しむというのは、これはなんとも楽しい行為であるかということも感じることが出来る作品だと思う。


戯れを超えて

しかし、やはりその影にあるこの書物の意義は先述の通りで、単純に階層(レイヤー)が深まっていくだけに思われる空間描写が、しかし、その各レイヤーでの描写は、どこか、著者の記憶とも連携をとる。そう、この作品は、さまざまな”空間”であって、さまざまな”時間”ではないのだ。記憶は多くの場合、時間の中に収められて語られる。時に、空間にまつわる記憶を利用する場合もあるが、それはあくまでも補助的な意味合いにすぎない。しかし、ここまで、大胆に時間の要素をはじき出して、空間として記憶を整理し直すという行為の持つ意味とは何だろうか。我々は、時間を生きているとは意識するが、空間を生きていると意識することは少ない。しかし、生活は空間に依存している。それは、あまりにも慣れ親しんでそれが普通のことにようにも思えるのだけれども、まさに空気としての空気があってそこに存在している。例えば、国家も空間の一つである。つまり、社会的存在である人間の特性が、この作品が強く示唆しているようにも思えてくるのだ。その器としての空間がどれほど重要であるのかと。
そう、この作品は、戯れにすぎないわけではない、戯れを超えて、人間存在のある側面を明示してくれるすばらしき作品であると、そう私は捉えている。




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発売日 : 2003-08 (単行本)
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