バーダー・マインホフ にてドイツ赤軍の史実を知る



学生運動

1960年代から70年代にかけて、アメリカがベトナム戦争で泥沼にはまっているころ、世界中で反戦を掲げた学生運動が活発になっていた時代があった。そして、その一部はその理想と現実の狭間に過激な行動へと手を染めていき、日本では浅間山荘事件などを起こした日本赤軍に発展するという事態へと進んでいった。その日本赤軍のドイツ版としてのドイツ赤軍についての史実をもとにて映画化されたのが今回紹介するバーダー・マインホフ。ちなみに、ドイツ赤軍がもともと、バーダーとマインホフという二人の人物を中心に結成されており、当初はバーダー・マインホフ・グループと名乗っていたがゆえに、この映画タイトルになっている。


犠牲

元々は、世界にある矛盾を前にした抗議運動として始まったはずのグループの活動。しかし、依然として変化しない世の中の状況にいらだち、やがて、より過激な行動へと進むことで自らの主張を通そうとするようになる。
しかし、この正義としての行動はつまりはテロ活動であるが故に警察に追われる身になると同時に、多くの被害者も生み出す結果となる。この犠牲は正義なのか。


獄中

そして、主要メンバーが次々に逮捕されていく。ここから、またその正義とは何かが揺れ動く。彼らは、政治犯であるが故なのか、独房に入れられ、もしくは、激しい虐待をうける。それは例え犯罪者であるとはいっても行きすぎた人権侵害ではないのかという要素が潜む。
そして、裁判が始まる。一方でこの主要メンバーのあとを次ぐ次世代のメンバーたちが彼らを奪還するために、より過激な行動をとるがことごとく失敗し、結局この主要メンバーたちは自殺する。


権利

そう、常に権利や意見を主張しようとする彼ら。その根本の思想には間違いは無いだろう。しかし、その意見が通らないとみるや、力で事を変化させようとし始まる。デモ運動に対する主張も、彼らの獄中での待遇に対しても。我々は権利を持っている。そして、間違った物事に対しては、正義としての言動を発しなければならない時もある。しかし、例えどんな状況でもやはり、節度が必要なのかもしれない。


正義

正義とは。今や、先進国の中では国内での大規模なデモは、特に世界に対してのは、もはやない。それは、この時期に徹底的につぶされてしまったからなのかもしれない。だとすれば、断固とした態度が必要という意見もあるだろう。
一方で、例えば、イラクの戦争にも、アフリカの紛争にも、もはや先進国の人間は、この学生運動の当時ほどの激しさをもった抗議はしない。
世界はどう変わってしまったのか。彼らの行動を支持するわけではないが、我々はでは、世界に対して、どのように正義を伝えれることができるのだろうか。


裕福

それは、一方ではやはり先進国は手に入れる物はある程度手にしている、勿論現在にも多くの問題があるのは現実だがしかし、ボトムのレベルが違う。そう、この映画で警察側の偉い人間のいっていた言葉が興味深かった。それは、テロを行う人間には、その正義以上のなんらかの背景があるというようなことを主張するような言葉が。
先進国にそれなりに住んでいると、何かを失う可能性を抱えながら正義を訴えるには、あまりにも所持している。逆に失う物のない状態の人間は先進国にはすくなくとも主流派ではないと思う、誤解され批判される可能性がある意見とは理解しながら書くのだけれども。
それでもなお、我々は、正義をスプレッドする義務はあるようにも思う、いや、アメリカ的なそれではなくて。しかし、どうあるべきなのだろうか。


世界

世界は変わるのか、変えるべきなのか、だれが世界を操っているのか、大統領なのか、そして、市民に見ることの出来る正義は、どこでどのように訴えることができるのか、訴える必要があるのか、ただここで平和に暮らすことがむしろあるべき行動なのか。
映画を通して、世界と自分について再考してみる。




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