ICC オープンサロン は膨大なデータについて



ミッションG

さて、久しぶりにICCは初台のメディアアートセンターの話題。オープンスペース2009が本日2009年5月16日から開始されるに伴っての、トークイベント、オープンサロンに行ってきた。
トークは、,鳴川肇、ダブルネガティヴス アーキテクチャーから市川創太、パクト・システムズからマルコ・ペリハンで、司会が四方幸子さん。沿革から Skype などでの参加もあった模様だけれども、前半のプレゼンしか見る時間が無かったので、どうであったのかは不明。


概要

概要を先にまとめた方がわかりやすそうなので、まずは。
で、根本的に理解しておくべきは、”ミッション G”という今回のテーマ。平たく言うと、世界をどうとらえるかということと私自身は理解した。その結果として、地球的なデータを取得すると共に如何に記述するか、それがテーマとなる。


プレゼン

ということで、第一部の四方さんを含めた4名のプレゼンを聴いた。
四方さんは、まずは、ランドアートに始まる地球的な規模のメディアアートの歴史についての紹介。


オーサグラフ

次に、鳴川肇さんのプレゼンで、メインは、このかたが考案したあたらしい世界の図法について。つまり、現在世界地図にしばしば使用されているのがメルカトール図法でこれは、球を平面にゆがめて投影しているのだけれども、そうであるが故に大いに歪んでいて、たとえば、サイズ比は極に向かうほど不正確になる。この問題を解決する図法が、氏の提案するオーサグラフ。この図法を使うと、海の関係や大陸のサイズ比などが適切に展開されながら、かつ、長方形に収めることができるようになるというもの。
たしかに、この記法は非常に面白くて、さらなる展開として、球面構造のものは全て長方形へと展開出来るようになる。よって、あらたな形式のパノラマ写真も作成することが出来る。


続いて

市川創太とマルコ・ペリハン。いずれも、世界のデータを取得して、それをある形式で表現していると私自身は解釈したのだけれども、これが、やはり依然として、私自身は釈然としない内容、というか、私自身の感じている疑問に答える物ではなかった。


センサー問題

勿論、データを取得すること、そして、それをある観点からプロットすることに意味は感じるし、そのモニタリングによって、新たな世界の見え方が出てくる可能性は認める。しかし、多分私自身の理解が不十分なせいだろうけれども、彼らのプロジェクトがそれを実現しているとは思えない。まず、データ取得について。そのセンシングが本当に十分なのか。センサーが取得出来るのは、そのセンサーが取得可能なものだけ。だけれども、生物の感覚器はそうではないだろう。例え、感覚器がそれぞれ機能に分かれているといえども、いわゆるセンサーと生物のアナログセンサーとはまるで違う。つまり、センサーは全てを取得しているようで、取得してはいない。それに、センサーは全てを取得出来ない。必ずワイドレンジがある。サンプリング周波数の問題もある。そして、処理は時にゴーストを生み出す。そんなセンサーのデータをさらに処理を重ねて世界を記述していると言えるのだろうか?


ビッグデータ

一方で、ビッグデータの問題がある。圧倒的な数のデータはやがて、処理の限界にくる、例えコンピュータによって処理したとしても、圧倒的なデータはほぼ破棄されてしまっているに等しい。それは、先述のサンプリング周波数の問題も含めて。そして、そこに処理を加えて、何かを見たとしても、勿論、そこから、何かを描くことは出来るだろうし、それが、何かを説明することも不可能ではないし、ある種の妥当性はあるだろう。しかし、それはごく一部でしかない。


不十分で十分すぎる

つまり、不十分であるのに、十分すぎるのが、センシングされたデータというもの。それを工学の分野では、現象を単純化して推定へと繋げ、それを証明するためにセンシングされたデータを可視化して利用する。つまり、そこには、データに対してモデル化が存在することで、センシングが意味へと繋げられて、意味を持つようになる。そう、工学におけるセンシングにおいては、圧倒的に多くのデータを廃棄して、一方で、理論によるモデル化がそのデータによって証明される、二本柱になっている。


疑問へと

だけれども、ここで行っているのは、センシングしたデータをとりあえず可視化してみただけと言えばそうである。確かに、面白い図形がそこに現れてくるだろう。しかし、それが一体何を意味しているのか。それは、センシングされたものではないデータを適当に可視化したのとは何が異なるのか。
そう、それが私の最大の疑問であるのだけれども、今回のこの話からは、それが感じられなかった。いや、そこに対する疑問の提示さえ感じ無かった。むしろ自身ありげに自分たちのシステムを説明しているという姿に、大いに違和感を感じた。


さらに

そして、さらに、もう一つの問題は、その可視化されたデータは、さらにそれを眺める観察者によって、再度フィルタリングされるということ。そう、つまり、工学では単純化された関係性が尊ばれるのと同じように、最後は単純化されなければ、伝わらないのではないかと思う。複雑を結局複雑に展開して、それで十分だろうか?


いや

と、こう書くと、私がデータ不信論者と思われるかもしれないが、むしろ、私はデータがすきだ。圧倒的なデータが、いや、記号の羅列がおかしいほどに好きと言ってもいいかもしれない。だからこそ、現実と繋がらなければ意味が無いと思っている。そう、現実に繋がっていなければならない。データは、そもそも、現実から取得されているのだから。そう、データが大いに層であることを願ってやまないからこそ、いろいろと思う。


まぁ

とはいえ、今回少しばかり話を聞いて思ったことなので、この方々のプロジェクトをちゃんと理解してはいない物の戯言です。そして、プロジェクトとしては、面白そうなので、今後ともウォッチしていきたいとそう思う。



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関連リンク:
ICC ONLINE | アーカイヴ | 2009年 | オープン・サロン「オープン・スペース 2009」出品作家によるイヴェント シンポジウム「ミッション G」
ICC ONLINE | オープン・スペース 2009
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