2年ぐらいかけて読み終えた ペソアの不安の書



フェルナンド・ペソア

ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは、19世紀後半から、20世紀前半を生きた詩人。生前は、その作品はほとんど公開され認められることはなかったのだが、死後に残された作品が編集され公開されると世界に知られる存在となった。
そのペソアによる大著”不安の書”を読んだ。


カフカ

その原稿の残し方はある意味ではカフカ的であって、友人に手渡された作品が廃却されることなく、刊行される事となったのだが、これまたカフカ的なところは、遺稿が整理されていなかったこともあり再編集されるなどを経たために、決定版としてどのような編集が正しいのかは意見が分かれるところ。


異名

また、フェルナンド・ペソア自身も変名をいくつも持っていて、このこともまた残された作品をどのように扱うべきかが意見が分かれるところらしい。


不安の書

ということで、不安の書は、そのペソアが将来的に一つの作品としてまとめ上げようとしていたとされている作品のもととなる散文を集めた作品。であるが故に、明確な構成のある作品という形態になっているわけではない。帳簿係の手記という形態をとってはいるものの、どちらかというと、ペソア本人の日記と読み取れるような内容。孤独な存在として生きる人間がみる世界と自分自身の内面。
このあたりもまた、カフカ的な印象を強めるところでもある。ただし、独白であるために、カフカ的な迷宮はそこにはなくて、むしろそこにある世界は非常にあっさりとしたごく普通の世界であり、そこにひっそりと生きる帳簿係が描かれている。


いつの時代も

ある意味では、引きこもりかもしれない。ある意味では、独白ばかりするブログ的なのかもしれない。
多くの文章は、断章の形態であり、ハードカバーの書籍で1ページから数ページで終わる文章が羅列させる。そこに描かれるのは、そのタイトル”不安の書”が象徴するように、内面の不安と孤独、世界との距離感を感じされる言葉。そこには、いつの時代にも、孤独という感覚と世界との微妙な距離感というのはあって、それは、おそらく大なり小なり誰の心にもあるが故に、この作品のいくつかの言葉は、ふとした隙に読者のこころに捉えられることとなると思う。


2年

私自身は、この作品を移動中を中心に、少しずつ読み進めたが故に、訳600ページを読み進めるのに約2年の月日を費やした。それは、この作品が読みにくいや難解であると言うことではなくて、むしろ、物語として一気に読み進めるという楽しみかたよりも、ことあるごとにその言葉をかみしめるて自らの感情を調整するという読み方をしたが故である。
そう、孤独というのは、時に共有を感じることで解消されることがある。そして、その孤独をより強く描きあげられたときには、その孤独を乗り越えていく礎となることもある。そう、この作品は個人的にはそういう読み方がいいと思う。いつも手元においておいて、時に手に取り、適当な断章を味わうと。


アフォリズム

ある意味では、エリアス・カネッティアフォリズム集のようでもある。そう、そこにあるのは、むしろ抽象的な言葉。つかめそうでつかめない言葉。だけれども、それはやがて、じっくりと吸収されていく。


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