それほど拡張されなかった 拡張された感覚 は今日が最終日でした



ICC

メディアアートの拠点、初台のICCにて、本日まで開催されていた「拡張された感覚―日韓メディア・アートの現在」を見てみた。


いまいち

メディアアートの宿命として、ただ、目新しいインターフェイスをテクノロジーを利用して見せびらかしているだけではないのか、という観点があると思う。今回の展示、拡張された感覚は、まさに、そんな感じがそのまま出てきて言い訳できなくなってしまうと言うそんな展示であった。


もう古い?

バイスを使って、ちょっとしたトリックを仕掛けたり、感覚器と反応の変換を行ってみたりというのは、正直言って、最早目新しくさえないというのが、現実。さらに、コンピューターに対話させて云々というのも、それだけでは面白く無くて、その結果として出てくる予想外の、だけれども、とても批判的なアウトプットが面白いと思うのだけれども、それもないと、いうのは、なんだかなーという感じ。コンピュータに対話させるのなら、どこかで堂々巡りが起こってとか、ハウリング的な事が起こって、というようなことがあって、それは共感なのか対立のなのかというような事に繋がったりすると面白そうだと思ったりするのだけれども、ただアウトプットしたって・・・。


プラレール

唯一面白いのは、プラレールの展示。プラレールプラレールとしてではなくて、装飾的に用いているところ。接続性と非接続性、実用性と装飾性。これらが、相反する状態で共存出来ていないところがとても面白く感じる。


・・・

というようなところで、一部屋だけの展示ということもあって、お金を払った割には、通り過ぎたという程度にしか鑑賞する気にならなかったと言うのが個人的な感想。ちょっと残念。


関連リンク:
ICC ONLINE | 拡張された感覚―日韓メディア・アートの現在
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