トレース・エレメンツ オペラシティーにて



日豪

初台のオペラシティにて、現在開催中で、2008年10月13日まで開催されている、トレース・エレメンツに行ってみた。
日豪の写真および映像メディアによる作品を集めた展示。


トレース・エレメンツ

この展覧会のタイトル、トレース・エレメンツが示すとおりに、ある時間軸を捉える写真作品でありながら、そこに何らかの痕跡(時間軸)を感じさせる作品。展示は、写真だけではなくて、映像作品も含まれていて、映像作品についても、ある時間を映像として写しだしながらも、異なる時間軸や世界観への暗示のある作品。


写真はいいとして・・・

ということで、タイトルに示された通りのトレース・エレメンツを感じ取ることの出来る作品展示。特に、時間的な痕跡と共に、そこに残された精神的な痕跡を感じさせたりするところもあって、とても興味深いものであった。
ただ、ではある物の・・・というのが個人的な感想。写真作品は、いいとして、映像作品のほうが、どうも。
というのも、以前から感じていたのだけれども、確かに、優れた映像作品はあるのだけれども、とかく、鑑賞に時間がかかる。しかも、映像作品の場合、それがどの程度の長さなのかが不明だし(いや、ちゃんと書いてあるのは知っていますが、わかりにくいのですよ)、永遠にループ再生されている作品が多くて、一体、現在流されているのが、文脈として何処にあるのかがさっぱりわからない場合が多い。映像作品が少なかった時には、これはこれで良かったのだけれども、ここまで映像作品が氾濫し始めると、いい加減に展示する方も、どのように展示するのかを考えて欲しい気がする。そして、結果として、多くの人がちらっと見るだけで過ぎ去ってしまうと言う最悪の状況になっている気がしてならない。
この辺、そろそろ、アーティスト側も展示側も気づいて対処するべきではないのだろうか?それとも、DVDで儲けるから別にいいというスタンスなのだろうか?いずれにせよ、従来の展示方法ではもう無理なのではと思う。


さらに

で、さらに映像作品について思うのは、そういった展示の問題だけではなくて、作品そのものにも、問題がある気がする。
というのも、私の考える芸術作品というのは、あまりにも多様な価値観がある世界を単純化しながらも、主要な要素を失わずに作品に収め混む物ではと思う。それは、キュビズムシュールレアリズムにいてもそうだったはず。
で、それに対して、映像作品が行っている事って、その多様な世界観をさらに多様な世界に置き換えてしまって、結局何をやっているの?って、必ずしも全ての映像作品に対して言えるわけではないけれども、そういう状態に陥ってしまっていないかと思う。多様な世界を単純化することを完全に放棄した上に、開き直ってただ、自分の視点を公開して、もはや外界の世界との関連性など気にしていないのではとさえ思ってしまう作品も存在する。
私的な領域を作品にするのは、それはそれで一つの方法論だとは思うけれども、それが許される瞬間って、ごくわずかしかないし、最終手段だと思う。
メディアによる表現であったり動的な表現を否定する気は全くないのだけれども、コンパクトな中に何かを表現すること、これこそが表現したいことなのだということがこもった何かって、必要じゃないのだろうかと、まぁ、美術には完全に素人のただの一美術ファンの意見なのだけれども、そんなことを思う。


ジレンマ

まぁ、芸術家が一般への分かり易さばかり求めるのも良くないし、単純化しすぎて、難解になりすぎてもそれはそれでいいのか、というところはあるのだけれども、だからこそ、両方に振幅を持ちながら変化していくしかないのだと思うので、そろそろ変化どきではないのだろうか。


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