森美術館でやっている今年の六本木クロッシングは・・・
六本木クロッシング2013
六本木の森美術館で毎年この時期に開催されている六本木クロッシング展。毎年様々な切り口でまとめた展示で個展などとはまた違って、キュレーションの面白さなんかも感じることの出来る展示で、私自身は毎年楽しみにしている展示。今年のタイトルは、「アウト・オブ・ダウト」。ちょっとタイトルからして、ひねりがないというか、な感じで大丈夫かなって気がしていたのだけれども・・・。
追い越された美術
のっけからで、最初は椅子などをくみ上げたウォールが現れる。世の中の多様化や多極化がむしろ美術界にあったはずの多様性や多価値の世界をむしろ追い越してしまったが故に、かつては羅列という手法から始まったパラレルワード表現は、行き場を失って、昨今は身近な何かをくみ上げるというところに行き先を見いだそうとしているようだけれども、この作品はまさにそれ。もう、見飽きたという感じの表現で、いきなりこの展示の象徴を見せつけられた感じ。アンデパンダン
そこから始まる前半は、過去のアンデパンダン展を意識したいのか、前衛的というよりも、破壊的な展示を意識したのか?戦時中を思わせるようなモチーフを用いた作品が並ぶ。しかし、それは破壊的であればまだ救いがあるのだけれども、そこにむしろネットとリアルの関係性などの意味を持たせようとしているのが見え見えで、そのあざとさが悲しい。むしろ、それでも進もうとする人類に意図を逆に引き戻そうとするかのような印象さえする風刺レベル。そこにまた、過去の作家を並べるものだから、過去の作家の存在をも否定的に感じさせてしまうというところ。
つまり、アンデパンダンも実は、社会をむしろ後ろに引っ張ってしまう行為であったかのように思えてくる。
その後は最早
あとは、語るまでもない。無理矢理共産主義を引き合いに出しているが、深みがない。共産主義とはパレートの法則を取り入れなかった理想主義であることに問題があるのではなど、独自の解釈が全くないままで描いていてもしょうがないだろう。あとは、フクシマといっておけば、表現者としての免罪符になると思うのはやめた方がいい。このあたりは、最早気分が悪くなってくるレベルで、多極性を理解できない美術を通り過ぎてただ社会性が無いという状態ともいいたくなる。
悪ふざけ
極端に言えば、悪ふざけにしか過ぎないといわれてもしょうがないだろう。キュレーターは文脈を語りたいみたいだが、文脈がにじみ出てきていなくて、それらが総て説明に頼っている印象が強い。
そして
その意味では文字通り捉えるのはあれだが、ファニチャー・アートと題したそれは、もはや装飾でしかないアートというところを後半で冷静についていて、それまでの展示も総て意味は無いんだよって言っているかのように捉えたくなる。最早意味をなしえることはできないんだという宣言のようでもある。次の世界
これからの世界は、すでに多極化多様化の時代ということが言われ、そして、それが具体的に蠢いているように感じる。そのなかで、冒頭に書いたとおりに、多様性を描こうとしていた美術の役割は終わりを迎えて、新たな世界を描かなければ成らなくなっているノではないだろうか。それは、単にその全体から逃避して、個の部分に落ち込んでいけばいいと言うものではない。そこにある、悩ましさや苦しみが、深みと成って表現でしか表現出来ないもとして表現しなければ成らないはずだ。
今回の展示はそこから完全に逃避して、外野席から酔っ払いながらヤジを飛ばしているにすぎないような展示構成になってしまっているように思う。
あまりにも残念。
個人的見解
とまぁ、書いてみたもの、これは私の理解力のなさ所以である可能性も高いだろうので、これは個人的な感想です。やはり、自分で判断すべき要素は強いでしょうノで、是非鑑賞してみてください。
関連リンク:
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