久しぶりに、原美術館で、現代美術を



ピピロッティ・リスト

なんだか、美術館に行くのが、実は、今日が今年初めてな事に気づき、そして、そういえば、かなりの間美術館にはご無沙汰で、その間に、行き損ねてしまった展示もいくつかあり、そして、終わってしまいそうな物もいくつかあり、ということで、なんとか、こちらは間に合って、ピピロッティ・リスト原美術館での展示に行ってきました。


映像

映像にインスタレーションを加えたような展示。床に照射したり、木の枝につるされたプラスティックのオブジェを通して照射したり、でかい家具に座って小さな画面を眺めてみたり、などなど。


輻輳

全体的に感じたのは、現在と記憶もしくは想像の対比とさらにそこから派生しながら全く異なるイメージを重ね合わせたり、つなぎ合わせたりしているといった印象。床に写された映像の場合は、町並みと人間そして空、散乱した光、もしくは、炎といったところで、町と人という日常世界とそれを包む空、そして、内面のイメージとしての光であるとか。スーパーの中を歩く人を真正面から捉えて、その人の額あたりに別の映像が差し込まれている作品にしても、スーパーとそこを歩くという日常に対して、額に写された物は、記憶であるのかもしれないし、想像であるのかもしれないというもの。他にも、そういった日常と想像・記憶という対比で、つまりは、外界に現れた現象と脳の中の現象の対比というように捉えてみたくもなるのは、私の個人的な思いこみも強いかもしれないけれど。
ただ、こういった映像作品というか、メディア作品という物の持つ絵画との最大のちがいは、時間軸であると思う。次元の解放は、キュービズムなどによって可能であったのかもしれないけれど、時間に関しては、確かに未来派の取り組みとかもあったけれども、実質的には、メディアアートが最も異なるのは時間だと思う。で、その時間変化を利用した結果として、ピピロッティ・リストはそういった内面と外面の対比を描いているように思う。


巨大

展示の中で、わりとわかりやすくて印象的なのは、巨大なソファーに座って鑑賞する作品。とにかく、巨大な物に包まれることのこの何ともいえない過剰感による安心感は、きっと、どこかに持っている何かに頼りたいという感情の反映なのだと思う。


終了

ということで、2008/2/11にはこの展示は終わってしまいます。


関連リンク:
Hara Museum Web
dLINKbRING.Art.原美術館
関連サーチ:
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