東京都現代美術館で、激しく混み合うその脇をすり抜けて



1.恐るべし
東京都現代美術館に、行ってみた。磯辺行久の展示を見るために。ちなみに、このブログを書いているのは月曜日だけれども、実際に訪れたのは、日曜日、天気の良い、まだまだ夏の名残が、あまりにも名残惜しそうに熱を帯びたまま。どの駅からも中途半端に離れた東京都現代美術館は、いつもなら閑散としている、隣の木場公園は、楽しそうな声に包まれているけれど、それとは対照的に、密やかに。だけれども、今回は違って、近づけば近づくほど、人の数が増えてくる。そして、驚くべきことに、外まで人の列が溢れ出していて。
財政難に陥ってから、リストラの荒らしが地方自治に吹き荒れて、文化施設は軒並みそのあおりを食った。東京都現代美術館もその例に漏れず。そして、しばらくして、奇策というか、館長の人脈というかで、ジブリ関連の展示が始まった。夏休み。いつもなら、美大生か、もしくは、よっぽどの好き者が一人でもしくは、少人数で、静かに展示を眺める、不思議な現代美術を眺めるその場は、その頃から、夏休み近辺だけ様子が変わる。家族ずれが、カップルが、溢れかえる、2時間以上待たなければらない展示を待つ。人がただそこに大量にいるというだけで、空間はこれほどまでに喧噪に満ちてしまう物かと。そして、その例に漏れず今年もまた。メジャーな存在であるということの力をまざまざと見せつけられる。
複雑な気持ちになる、やっぱり、そんなものなんだと、これが文化なのだと。そして、確実にこれが今年の最大の売り上げを示す展示であるのだろう。この東京都現代美術館においては、確かに、この動員力は、施設の認知度の上昇のためにも、そして、なによりも財政的な側面からしても、食指が伸びてしまう物に違いない。複雑な気持ちに包まれる。しょうがない。


2.そんな事を思いながら
ロビーに詰め込まれた人々の列の隙間にわずかばかりに作り上げられた隘路を通り抜ける。勿論、私の目的は、ジブリにはなくて、磯辺行久。
エスカレータを降りて、地下の展示室へ。ここには、人の波は、やはり押し寄せてはいないけれども、ついでという間違いで訪れた人は少しばかりいるようにも思える。
2.1抽象画
まだ、ロビーの喧噪が漏れ聞こえてくる最初の展示空間。抽象画。
2.2ワッペン
その抽象画は、やがて、ワッペン型のモチーフが敷き詰められた作品へとつながり、そして、ロビーの喧噪は距離と隔壁によって減衰していく。画面に敷き詰められたワッペンが、一体何を意味しているのだろうか。そして、そのワッペンの羅列作品が、展示室中に羅列される、羅列の羅列。そして、ワッペンに描かれる模様は単純化し、独立したものから、接続したものへと変化していく。
2.3和風
その作風が一変する。和箪笥。その正面に描かれた日本画。そして、扉の中に描かれた模様。重複した構造。ワッペンとのつながりは一体何なのだろうかと。そして、この頃には、既に、ロビーの喧噪を忘れてしまっている。
2.3環境
そう、この和風への変化だけでも突飛であるのに、そこからさらに激しく非線形な展開へ。ランドスケープ東京都現代美術館の特異な展示形態でもある、吹き抜けの大空間に置かれたバルーン。そこに入り込むと、ジブリの展示を見に来た人々に見下ろされる事になる。このバルーンをどう感じて見ているのだろうか。コミュニティに注目した近年の活動。そこに昔流れていた川を、示してみたり。環境を描く。
2.4変遷
そう、作風が変化していく芸術家は多くいると思うけれど、ここまで激しく変化していっている人も珍しいと思う。未だに、何がこの作家をこのような展開に導いたのだろうと、とても不思議に思う。


3.適度な混乱
そうやって、私が現代美術に感じる1つの心地よさである適度な混乱に包まれて、エスカレータを登ると、再び、ロビーの喧噪の狭間へ。そして、また人々の隙間に形成された隘路を通り抜ける。いつもは、一体誰が買うのだろうと思わせるような美術書が並ぶ販売所に、トトロが鎮座している。思わず目を背ける。適度な混乱が別の混乱に巻き込まれる。現実とは、これが、現実。きっと、もっと若い頃なら受け入れる事が出来なくて、ここには二度と足を運ぶまいと思ったに違いない、だけれども、現実の様々な厳しさが身にしみて、そして、強さを失った今では、ただ、目を背けるという小さな抵抗しかできない。


4.散文
ということで、たまには散文風に展開してみた。


関連リンク:
dLINKbRING.Art.東京都現代美術館
磯辺行久展
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