ICC:コネクティング・ワールド



1.まずは展示
1.1概略
さて、2006/11/26まで東京:初台のICCにて実施されているコネクティングワールド展。リニューアル後の初の有料展示でもある。
展示は、ギャラリースペースの多くが無料スペース化したこともあって、しきられてはいるものの、一つのスペースのみの利用。こじんまりとまとまった展示。
1.2コネクティング
内容は、タイトルのとおり様々な方法論により様々なものを”コネクティング”している芸術作品の集積。インターネットを利用したものもあれば、将棋倒しのように、様々な物体が次々に動いていく作品もあり。ここでは、コネクティングという言葉を使っているが、私は、かねがねインターフェイスによる接続ということが重要ではという考え(例えばこちらを参考ください)を持っていて、それに近しいことではあると思う。
1.3インターフェイス
インターフェイスというと二つの意味を含ませていて、文字通り、異なる物質の間で何らかの伝達を行うための接続点という面もあるし、それから、こういった芸術作品になると、それがどのように表現されるか(これも、鑑賞者と作品の接続とすれば、前者と同じ意味になるのだが)という面。まぁ、後者は非常に難しい問題で、作品の感性もあれば、鑑賞者の感性もあるところで、評価が困難ではある。
1.4ランダム性
全てではないが、全体的な印象は、インターフェイスを介することによって、ランダム性を生み出しているというか、工業的に言えば、インターフェイスは確実にそこで情報伝達するためのものであるのだが、ここでの作品では、インターフェイスを介することによって、ランダム性を発生させているものが多いという印象である。そして、そのランダムな状態をコントロールしながら、表現することで、そのランダムな現実の存在を際だたせようとしているようでもある。


2.シンポジウム「コネクティング・ワールド」
続いて、開催されていてたシンポジウムを聴講する。ちなみに、ICCのシンポジウムなどは無料の場合がかなりあるので、これ、かなり聴く価値のあるものと思うので、お奨めです。
2.1パネリスト
今回は以下のメンバーで実施。


パネリスト:池上高志(複雑系科学/東京大学大学院助教授),佐藤俊樹社会学者/東京大学助教授),ambientTV. NET(出展アーティスト)
司会:四方幸子(本展キュレーター)
2.2全体的には
全体的には、かなり、議論がかみ合わなかったということもあり、後半は出演者にも動揺が感じられる展開であって、まとめるのが困難だが、自由な状態って何?一方でネットワークである社会はその自由に対してどのような状態にあるの?っていうことだと思う。若干、コネクティングワールドじゃないような印象かもしれないが、多分、結果的にはこんな議論になっていたという印象。
2.3じゃぁ、少しずつ詳しく
2.3.1AmbientTV.net
まずは、今回出展もしているアーティストグループからのプレゼン。ロンドンはビデオカメラだらけの監視社会化しるだとか、Information Awareness Officeなる存在があって、情報が収集されているだとか、をはじめとして、現在の情報がどのような監視状態にあるのかという紹介と問題提議から、それを批評するかのような芸術活動の紹介へという展開。Information Awareness Officeが一体何なのか?Wikipedia-Information Awareness Officeなどでも調べてみたが、いまいち把握しきれなかった。ただ、そういった監視ということが、特に犯罪やテロという背景も手伝って拡大している現実を指摘している。
2.3.2池上高志
続いては、池上高志。以前のICCでの別のシンポジウムでは面白いコンピュータ上の生物シミュレーションを見せていたが、今回は、音楽を中心とした芸術活動を主体とした話。もう少し詳しくは、時間の概念について、そして、様々な輻輳する要素の連結性についての考え、そして規定されきらないフォーマットでの自由度とある種の拘束で、それらを弱連結のネットワークとして表現していたりした。また、それらの概念の総括として、ここ数年渋谷慶一郎氏と行っているサウンドインスタレーションこちら参考)の概念についての話へという展開であった。勝手なまとめをすると、様々なバラバラな要素が時間によって接続されていて、この時間の扱いについてJohn Cageの方法論を持ち出しながら、さらに展開しているということ。で、これは、どうかというと、ハイデッガーの「存在と時間」にも通じるし、量子論の不確定性にも通じるところだと思う。それは何かというと、概念的な話で言えば、ものが存在するだけでは、存在にはならなくて、他者によって知覚されることによって始めて存在になる。で、他者によって知覚されると言うことは、そこには、何らかの接続がある。それが、時間になる。何故時間かというと存在が存在するには、もう一つ変化というものが必要であり、変化に必要なものは何かというと時間になる。ある種のネットワークが形成された時点でそこには、場としての存在だけではなくて、時間をもつ社会が形成されることになる。ということで、時間の扱いはとても重要なのはある意味では、当然となる。余談だが、池上氏の発表冒頭で、時間の概念として直線と循環がよく提示されるがその概念は少ししっくりこなくて、ランダムな方向を時間は向いていると捉えるべきという話があったが、先述の内容からするとまさにその通りだと思う。ただ、これは詳細をしっかりと捉えようとしたときの観点での捉え方であり、社会生活の外観を表現するには、やはり時間は直線と循環だと思う。違う観点を持ち出して批判するのは適切ではないと感じた。
2.3.3佐藤俊樹
さて、社会学者のお話。桜についての俳句を詠んだときに、実は、その俳句一つで全てを説明しているのではなくて、他の有名な桜についての俳句についての言及が暗に含まれている。という話があって、これはとても適切な指摘で面白かった。で、ここにはルーズなコネクションが存在していると言うこと。つまり社会があれば、そこには何らかのルールができあがっていて、それに依存している場面もあるという話だと思う。
2.3.4かみ合わない議論
そして、ここから、かみ合わない議論が始まる。何がかみ合わなかったかというと、それぞれが議論しようとしている自由の概念がぶれているということだと思った。池上氏の自由は、文字通り自由というか、形而上学的にというか机上検討的自由というか、概念としての自由そのものを議論していたと思う。だから、システムそのものを揺るがすような全く別の発想も許される(そして、そのことがアートの目的でもある)し、(ルールもメタルールも同じ地平にあるといっていたが、つまりは、それは、ルールという概念が存在しないと言うことになると思う)、それを求めていく必要もあり、それが自由だという話はとても納得できたし、反論の余地はないものだと感じた。ただ、一方で、AmbientTV.netのムクル・パテル氏の議論は、監視社会という側面もあって、まさに社会そのものにおける自由とは何かということであって、そこでは、システムが破壊されべき自由であるとかそういった発想が入り込む余地が無くて、生活する状態に対して、適切な状態であるか否かが自由の議論になるはず。
2.3.5求めるものの変化
これをもう少し違うところから考えると求めるものの変化という側面が出てくる。つまり、政治的に非常に困難な時代では、思想の自由ということがとても重要であって、政府による監視という統制は敵であって、そこから自由であるべきという発想が重視される。となると、人々が求めるものは、監視からの自由であることとなる。一方で、ある程度の安定が保持された社会では、その安定の維持が人々の主題となって、そこで必要となるものはこの状態を守りきること、つまり安全性になる。一方で、思想統制の恐怖からは遠のいているので、監視強化がされたとしても、それによって、安全になるならその方が自由になるという発想になる。この発想の変化が背景にあって、だけれども、その発想に甘んじて、本来我々が保持すべき権利を放棄してしまったり、必要以上の権力行使の可能性を本来持つべきではない人が手にしうる状況を作ることは非常に問題であって、それについて熟考が必要となると、いうことだと思う。だから、こういった問題に対しては、自由自由といったところで、自由はなくて、操作する可能性の無いシステムにおける自由の議論となる。これが、AmbientTV.netのムクル・パテル氏の議論となって、一方で、例えば、様々な思考の展開方法などに通じるであろうフレームを壊していくような、揺るがしていくような発想は、それは、操作可能なシステムにける自由の議論となって、これが、池上氏側の議論なのだろう。これは、政治的存在と経済的存在の対立として、こちらで展開した議論に通じるところかもしれない。
2.3.6コネクティング・ワールド
ということで、コネクティングと題しながら、議論がなかなかコネクティングしなかったところは、ある意味では、このコネクティングの概念を象徴的に表しているかもしれない。つまり、コネクティングというとあたかも相互理解であるかのように感じる人がいるかもしれないが、そうではなくて、それは境界線の再定義であると思う。例えば、インターフェイスをまさにコンピュータのインターフェイスをもって考えれば、それは、2進法の世界と現実世界をつないでコントロール可能にしているけれど、それを行うということは、それぞれの世界を一度完全に分断してしまうという作業が介在しなければならない。つまり、コネクティングなり理解とは、どこかあきらめるとう発想にも近くて、池上氏のしてきした、人間は計算を辞めてしまうシステムでそれが2番目のオープンなのだという指摘が全てを見事に表現していたとも感じられた。


関連リンク:
ICC Online
Mapping Sound Installation
Information Awareness Office
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