Art2.0 というごまかしのタイトルで(その4)



0.気づけば数ヶ月
前回の記事から気がつけば恐ろしいほどの時間が過ぎ去ってしまった。こういったまとまった記事を書けるような時間に当てるはずの時間をちょっとした Web Site を作る時間に費やしてしまったが故にである。で、やっぱり、Web Serviceって、ベンチャーにしか出来ないのだと、強く感じた次第。企業にもよるのだろうが、とかく大きくなればなるほど、様々な懸念事項であったり、その有用性の根拠ばかりにこだわって、技術の進化や変化に適切に追従出来ないでいるような気がする。だから、たいがいの企業のWeb Siteって、誰が最後まで我慢して見るのだろうと思わせるFlashを多用していたりするのだろうと思う。人にもよるのかもしれないが、私はFlashを見るとすぐにskipを押す。それによりも、もっと動的にインタラクティブにして欲しい部分は多いのだが、そこには工夫がなされていないという気がしてならない。きっと、この辺って、チャンスな領域なのだと思うし、ベンチャーじゃないと無理なのかも。特に、時代の変化の仕方が恐ろしいスピードになってくると、過去の成功を持っていればいるほど、それがレガシーとして邪魔になりすぎるという事象がますます増えてくると思う。


1.何を書いていたろうか
それはさておき、さて、何を書いていただろうかと。美術館というかアート周辺にweb2.0的な要素を取り込むことによって、現状をより便利にする(HACKする)ことは出来ないだろうかということを考察してきたはずで、前回までの考察では、ある程度無料化にすることと、それから、種々の施設を統合的な位置関係にすることで、今まで通りすぎるだけであった人々になんとはなしに興味を持ってもら得れば良いのではないかという内容を書いてきたはず。で、それが、実はたまたまではあるのだが、リニューアルしたICCの取り組みに近しいという現状があるというところまで来ていた。


2.定義
ただ、こういってまとめてきた結果を考察したところ、それは、まだまだweb1.0的な要素に留まっているというレベルであったわけだ。つまり、初期のポータルサイト的な発想に留まっていると。じゃあ、何がどうなればweb2.0的なのかという非常に繊細な話題をしなければならないのだが、残念ながら、web2.0についてはいろいろと議論されている一方で、明確な定義がない。なので、ここでは、私の勝手な判断で、web2.0をオープンに参加可能な状況とおよび個人が個人のために行ったことを一般公開すると他の人にとっても役に立つ場合がしばしばあるという状況を肯定的に利用するものとして捉えることにする。特に重要なのは、単に主催者側がオープンにするだけではなく、ユーザー側もオープンになること。あとは、主催者側がオープンになるのはユーザーに対してだけではなく、横のつながりに当たるようなところに対してもオープンになるということ。このことによってマッシュアップ的なものが生み出される可能性を秘めることになる。


3.さて、アートについては?
このあたりのことをアートの方へ組み込んで考えてみるとどうなるだろうか?
3.1リソースの有効活用
すぐに思い当たるのは、リソースの有効活用である。美術館にはあまり表に出てくる機会のない所蔵作品が数多く眠っているはずで、これはリソースとしては非常にもったいない状況である。また、ある程度の個人もまたコレクションしているものもあるだろうが、これも時に、ほぼ眠った状態になってしまっていることもあるであろう。近頃では、頻繁に常設展の展示変えを行って、これらを有効活用している例は多くなってきていると感じるが、さらにもう少し何かないだろうかというところ。勿論、これらを単純に外に出して共有しようとしても、そこはデジタルワールドではない、リアルワールドの困難さで、展示するには、それ相応の場所が必要であるし、それなりの管理もしなければならない。
3.2とりあえずデジタル化してみれば・・・
それらをまずとりあえずデジタル化してみればどうだろうか?作品そのものをデジタルにコピーするのではなくて、それに付随する属性をデータ化していく。そこでふと考えると、おそらくこれらの属性って、すでにデータ化されているような気がする。売買という形態もあるし、所蔵作品管理もそれなりにしているだろうから。となると、このデータを公開してしまえというのはどうかと。もともと、公共のものであるのだから、情報公開自体には問題はないだろうどころか、むしろすることが義務でありさえもするはずである。
3.3接続してみる
となると、今度はデータになったものは、さらにデータベース化させてみたくなる。ついでに、そこにはやりのタグでも付けることができるようにすれば、一気に共有要素が増してくるではないだろうか?つまり、美術館をはじめとして、それらが、所蔵している作品をある程度決まったフォーマットで公開してみる。それらをうまくデータベース的に取り扱うシステムを作ってみる。そこに、ユーザーが適当にタグを付けることができるようにしてみる。という具合。そう、ただデータ公開するのではなくて再利用可能な形式で公開すること。
3.4何かを発見できるのか?
美術館系検索サイトはそれなりにあるけれど、これらって、どちらかというと外からの仕組みであって、所蔵作品にまでは踏み込めていない気がする。なので、所蔵作品まで踏み込んでいって、なんとかならないかと。データベースになれば、たとえば、各美術館での所蔵作品の特徴から、ここの美術館は**関連の作品が充実している、というようなことが明らかになってくるかもしれないし、たとえば、ピカソの作品を所蔵している美術館は思いのほか多くて、どこでもみることができる、だとか。
3.5つまり
つまり、外に出して扱うということはなかなか困難なので、とりあえずはあくまでデジタルワールドの上でいろいろとやってみるというところ。所蔵作品を簡単に検索できれば、作品検索してみつかったから、その美術館に行ってみようという人も出てくるかもしれない。
3.6もしかすると・・
これは、容易く思いつくことなので、もしかすると、これに似たことを始めているところはすでにあるかもしれない。


4.個人は?
さて、上記は美術館側のつまり主催者側の対応による2.0化であるが、むしろ、主役であるはずの個人側、ユーザー側が参画していくようなものはないだろうか?
4.1ブログくらい・・
簡単に思いつくところでは、ブログにコメントを書いて少々展覧会の宣伝の小さな一助となるぐらいしかない。
4.2参加型プロジェクト
デジタルワールドは、やはり芸術というリアルワールドが中心となる分野では、ヘルプツールにはなるけれど、それだけでは少し力としては弱い。となると、次に出てくるのは、参加型プロジェクトである。横浜トリエンナーレだとか、奈良美智+graf[AtoZ]などは、ボランティア参加を募って、その力を借りて、プロジェクトを進めていくといういい例だと思う。
4.3ローカルプロジェクト
それから、先日紹介しました、「アート戦略都市 EU・日本のクリエイティブシティ」に取り上げられていたいくつかの都市の試みなんかも、とても、いい例のように思う。だから、たとえば、いろいろなところで実施されているアーティスト・イン・レジデンスなどもいい例なのかもしれない。
4.4内にこもり過ぎか?
唯一これらの問題点と思えるのは、こういうのはどちらかというとやる人はやるけれどやらない人には全く関係ないものになってしまうというか、参加者と鑑賞者がほぼ同じになってしまって、それにあまり関心を持っていなかった人まで巻き込んでという展開に持ち込むことがなかなか困難になってしまわないか、というところ。ただ、これはいたしかたないことかもしれない。
4.5自己完結
よりオープンになって外をも巻き込んでいくようになればそれに越したことはないが、ただ、一方で思うことは、どのようなことでも、実際には自己完結的なものばかりではないのかということ。いきなり大きく出てみると、そもそも人の存在自体が、というか、全てのものの存在自体がとても自己完結的であって、存在そのものには究極の目的はなくて、ただ唯一の目的は生き残るということのみ。その生き残るという目的でさえも、それは究極の目的でも何でもなくて、そういう存在であるが故に今まで生き残ってきたのであり、そのままその特性が引き継がれていっているというだけだと思う。そこまで、大きく出なくて多くのものはとても自己完結的で、その自己完結度が高いほど社会の安定性に繋がり、もしくは、利益に結びつきやすいというのが、特に20世紀までの主要な考え方でもあると思う。そこに少しずつ流動性を加えていっているのが、近現代への流れでもあると思う。いくつかのネットサービスについても、実際に大きな利益を出している企業はえてして、自己完結的なサービスを行っている会社である。オープンなだけでは利益は出ない。これはweb2.0の矛盾というか、弱点といえばそうである。ただ、自己完結の度合いがすぎると危険な新興宗教であったり、詐欺であったり、談合であったりという方に行き過ぎるので要注意。どこにバランスポイントを見いだせばいいのだろうか。
4.6自己矛盾
となると、自己完結を肯定しすぎるとオープンにするという2.0的発想に対して、自己矛盾を来すところでもある。これを以下に克服するのかがとてもかんがえどころかもかしれない。
4.7つまり
ということで、個人側・ユーザー側という着眼点からすると、結構美術界で進んでいるボランティアだとかアーティスト・イン・レジデンスあたりで、既に2.0的なことは進んでいて、唯一弱点があるとすれば、自己完結性であり、そこをどのようにオープンにしていくかというところが課題といえば課題かもしれないという結論。しかし、ただオープンにするだけでは実際にはオープンにならないというか、既にオープンではあるにもかかわらず、参加者が増えないというかというところがあるのかもしれない。これは、ネット系でもそうで、プログラミングにかなりの高度な知識と技術が必要でかつハードも高価であった時代には2.0なんてあり得なくて、ソフトおよびハードの”チープ革命”によって敷居が下がったと言うところがも大きな要素だと思う、とすると、何とかして敷居を下げる方法を考えるというところに道があるのかもしれない。


5.究極的には
5.1個人がより楽しめればそれでいい
ということで、うまく結論に繋がっているのかどうかというとはなはだ怪しいのだが、結果的には、個人が楽しく思うようにするにはということを、P&G

Customer is our Boss
であるだとか、多くの企業がときにバズワードのように使用している「顧客重視」という考えを、主催者側から提示するだけではなくて、ユーザー側も相まみえながら、アートの中に組み込んでいくべきで、その結果として、個人が楽しくかつ何か別のものをつかめる場ができあがればいいのでは、ということになると思う。「アート戦略都市 EU・日本のクリエイティブシティ」を読みながらも思ったのが、結局ここに掲載されている街の成功っていうのは都市が有名になって云々というよりも、アートによってそこの街自体に活気が戻って、そこに住んでいる人にとってもその文化の香りがとても、充実したものに変わったという事実が成功を意味していると思う。利己的な形ではなく、個人が充実したものを目指すというのは、ある意味2.0的かもしれない。
5.2公共事業でもある
という一方で、2.0って実は、むしろこれは公共事業的である、ような気がしてならない。再帰的な表現をすると、2.0とはつまり公共事業2.0である。
つまり、公共事業は本来制度のもとに集められた税金を元に行われる。一方で、web2.0の世界では、個人が自らの意志で自分の労働力を使った結果としてのアウトプットが集積される。結果としていずれもより多くの人が便利になるという結果につながる。ボランティアベースのデジタルワールド公共事業といってもいいと思う。OpenSourceだとかCreativeCommonsだとか。これは、なんとも逆説的な現象で、個人がより自由に振る舞おうとした結果逆に、公共事業的なものにたどり着くというのは、なんだか、逆リヴァイアサンでもある。ただ、確かに、Googleの言葉でこういうものがあった。
世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられているミッションなんだよね。
上記は、「梅田望夫ウェブ進化論」より孫引き(原文発見できなかったため)
こういった発言を考えてみると、この公共事業的なものにたどり着くという感覚はあながち過ちではないであろう。


6.完結
そんなことを考えると、美術館と2.0ってとても相性がいいような気もしてくる。おりしも、小さな政府という政策が推し進められるとこういった芸術というのは軽んじられる傾向が強くなる。となると、新たな公共事業としての2.0に可能性を見いだしていくしかないような気もする


関連リンク:
アート戦略都市 EU・日本のクリエイティブシティ
Art2.0 というごまかしのタイトルで(その1)
Art2.0 というごまかしのタイトルで(その2)
Art2.0 というごまかしのタイトルで(その3)
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