東京都現代美術館:転換期の作法、MOTアニュアル、常設展

0.はじめに
久々に、東京都現代美術館に行ってみた。
現在開催中なのは、
 転換期の作法(1/21〜3/26)
 MOTアニュアル(1/21〜3/26)
 常設展(MOTコレクションあなたのいるところ/コラージュの世界)(1/21〜3/26)
ということで、この3っつの展覧会の感想を記事に記そうと思う。


1.転換期の作法
ポーーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術の紹介である。
先日は、千葉市美術館で開催されているスイス現代美術の感想を記事にあげたが、
こういった、日本ではあまりメジャーではない国の美術に触れる機会が多いのはうれしい。
さて、「転換期の作法」というタイトルも示すように、これらの国々は、
過去の共産圏の香りを感じさせて、その政治的不安程度がつい最近まであり、
そこから、新しい社会が構築されようとしている途上でもある。
勝手に、私の得意分野に持ち込むと、しばしばここで紹介している
プログレッシブロックの世界でも、実はこれらの国々は面白いバンドを排出している。
特に、ポーランドハンガリー
さて、内容であるが、まず、最近の美術傾向と同じように、映像やオブジェ、インスタレーション
といった作品が多く、結構鑑賞しきるのに時間がかかる。
また、それぞれなかなか興味深い出来なので、ゆっくり鑑賞してみたいというところもある。
なので、出来れば、昼いちぐらいには到着して、ゆっくり鑑賞するのがお勧め。
全体的に感じたものは、何かわだかまった感情をユーモアによって昇華しようとする作品と、
非常に示唆、ウィット、皮肉に富む作品によって指摘しようとする作品とに分かれるという印象だった。
ただし、あまりその社会の動向とリンクさせて捉えるべきではないのだろう。
実際、政治色はあまり感じさせない。いくつかの作品では何となく感じられるが、
それらも政治的な意味合いを越えた状態にまで昇華された作品になっている。
作品は、10人1グループで傾向はそれぞれにまちまちで、いろいろなタイプの表現を
鑑賞できるというのもいいところ。
途中にも書いたが、とにかく、映像作品が多いので、しっかりと時間をもって鑑賞することがお勧め。


2.MOTアニュアル
続いて、MOTアニュアル今年は、”No Border 「日本画」から/「日本画へ」”
紹介されている作家は、「松井冬子」「篠塚聖哉」「町田久美」「長沢明」「吉田有紀」「三瀬夏之介」「天明屋尚
日本画感を感じさせる現代の作家の作品を集めたもの。
実際最近日本画感を感じさせながらも、それを全く違う方向へ展開させて、
今まで見たことのないというか、見たことがあるようなないような作品を提示する作家が多い。
ということで、その感想だが、正直な感想は、いまいちというところ。
ただし、これは、私の趣味嗜好によるところが大きいと思う。
そもそも、日本画が苦手。そして、それに加えて、漫画やアニメ的要素が苦手。
ここに紹介されている作品の、一部は日本画+漫画アニメによった
作品という、在る意味では純国産でまとめ上げた作品がある。
どうも、生理的に受け付けない。実際は見ていてすごいとは思うのだが。
あとは、タイトルに依存しすぎている作品が見受けられたようにも感じた。
それと、日本画というある種の重々しさを逆手に利用したものだとか。
ネオ・アニミズムというのか、妖怪性というのか、そういう切り口も共通しているようにも感じた。
ただ、なにぶんやはり苦手、感想表現が散乱するのもたぶんそのせい。
もしくは、この微妙な感覚を生み出させるというところも作者の見事な表現によるのかもしれない。
ただ、こういうのも美術を見る面白さである。
自然と自分の非常にベーシックな嗜好を改めて確認させられるという点。
それから、自分とは異なる価値を目の当たりにしたときに明らかに自分の中に発生する
混乱をどう処理すべきか、受け入れるのか、拒絶するのか、そういった心の動きが自然発生して、
そして、そこから思考が駆動され始めるというところも面白い。
で、実際これらの作品を見て感じたのは、「本当になにも無いのかもしれない」ということ。
付け加えるならば「個人的な好み以外には」。
先述の「転換期の作法」においても、芸術の存在意義を議題にするような作品が見られたが、
まさにそれを感じた。各作品に非常に手の込んだそして見事な表現を感じるところがあったのだが、
一方で「だから・・」と感じたところ。極端に言えば、誰かが書いた「写経」を見ているような。
(写経という行為に対して筆者自身は全く知識が無くイメージとして表現していますので
 思い違いによる不適切なたとえとなっていましたらご了承ください、ただしその、知識不足さ加減
 も同時にここでの表現に利用しています。)
美術にしろ文学にしろ映画にしろ音楽にしろ、一時または依然として「無」を発見し無を目指した/ている。
ただ、そこには、「無」という何かを探していたようなところもある。しかし、じつは、
「本当に何もないのかもしれない」と、そんなことをこの作品群で感じてしまった。
つまり、普段私自身が好む作品にしたところで、「個人的な好み以外には」。
当たり前かもしれない。確かに。
それとも、そういった価値の一定しないところで危う足下の中をそれでも何かを求めて表現している状態
がそれであり、それこそが「先端の開拓者」なのかもしれない。
科学的な発明をしようと研究する人々も、そこにあるかどうかわからない「解答」を見つけようと、
不案内な道を手探りで進んでいると表現することも出来る。
それが、人間の強さなのかもしれない。


3.常設展(MOTコレクションあなたのいるところ/コラージュの世界)
そして、常設展。大幅な入れ替えが在ってから始めていった。
かつては、時系列に名作が並んでいるという構成であったが、今回からはそうでなはなく、
テーマに沿った展示を行っていくという構成に変わったようだ。
個人的には、サム・フランシスの部屋が無くなったのは残念だが、この試みは非常に良いと思う。
今までは、常設展は毎回ほぼ同じで、企画展は見ても、常設展はパスすることが多かったので、
展示替えが頻繁になって、様々な切り口の展示が見られるのであればと思うとうれしいかぎり。
昨年はしばしば東京都現代美術館を批判したが、ここのところの活動は、この常設展改革を始め、非常に良い活動が多いと思う。
で、私が常設展で発見したのは、”デイヴィッド・ホックニー”はかなり私の好みだということ。
先述のMOTアニュアルが私の嗜好からかけ離れていたのと反対で、こういった作風は有無をいわさず
私を虜にする。そういう意味では、改めて「本当になにも無いのかもしれない」「個人的な好み以外には」
を感じさせられたところであり、また、その自分の好みを越えて他者を受け入れることの困難さも感じたり。


4.蛇足
そんなわけで、久しぶりに東京都現代美術館を満喫出来た。ここ一年ほどのアンチ東京都現代美術館
とりあえず撤回したい。
常設展の改革の他にもPODCASTINGをはじめたりとか(詳細はWebPageで)、興味深いところも多い。
そして、何より思うのは非常に重要な作品をコレクションしているという点で、
常設展の改革を機にこれらのコレクションをもっとおもしろい手法で公開していただきたいとも思う。