ICC閉鎖?その4

さて、ICC閉鎖問題が一体いまどうなっているのか、
私の情報網では今ひとつ現状がわからないところですが、
勝手にICC閉鎖問題を題材に少し議論をします。

結局前回までにいろいろと書いた内容から考えると
活動には資金が必要でその資金を一体どこから入手するのか、
そして、その資金の妥当性を如何にして説明するのかということになる。
昨今特に企業価値が叫ばれる中、間接投資は不要だと豪語する株主が
増えている。それも一理はある。
一方で多くの文化施設は、企業資金もしくは公共事業として成立していて、
単独で財政が成り立っている事例は少ないように思える。
実際、多くの企業がギャラリーを持っている。
その事例は何故成り立つのか。
企業ギャラリーは無料なものが多いので、明らかに宣伝目的である。
では、例えば、来場者のアンケートを採って、来場者とその企業の製品ユーザー
との間に高い相関があるかどうかといったことをしているだろうか?
おそらく、即席企業価値を唱える株主なら、そのようなことをやって、
相関が低ければつまり企業として持つ意味が無く投資価値なしと判断すべき
というだろう。そして、実際におそらく相関は低い。
それでもそれが出来るのは何故かという、その企業のトップの意向だろう。
ただし、現在は、そのトップの上に株主がいて、如何にして抵抗するのか?
というところが残る。つまり、最後の砦であるそういった企業メセナ
風前の灯火であるかもしれないということだ。
また一方で、そのように企業などの大資本によって維持されている以上、
過去の宮廷画家と何が違うのか、それらが、本当に一般層の感覚の代弁に
なりうるのか?一体芸術は誰のものなのか。
幸い、多くの企業ギャラリーを見る限り、偏ったものは無く、非常に公平に
芸術を評価していてその高度な独立性が感じられる。
しかし、ここで、先ほどの企業価値との関連を考えると、
独立すればするほど、そこから遠ざかっていく。
つまり、切り離されるリスクも増えるということだ。
そこで、思うのは、社会への利益還元という考え方である。
特に欧米では、お金持ちになれば、様々なところへ多額の寄付金を
するというのが一つの考え方としてある。
そこを捉えて、例えば、企業ギャラリー的なものに対しては
税制優遇を行うとか(既にあるのかもしれないけれど)
社会への利益還元という側面を後押しすべきではないだろうか?
(それはそれで様々な問題をはらむが)
そうすれば、闇雲な箱物公共事業も減って、公共事業として何かを作るのではなく、
何かをしようとする企業を支援する形をとるのである。
そして、企業ははっきりと企業価値とは関係ないかもしれないが、
これは、社会への利益還元であり、企業としての社会的な責任を
果たす行為であるとはっきり株主に対して宣言するべきなのだ。
そして、それは目に見えないものへの投資であるのだと。
それの何が悪いのかと断固として企業のトップは宣言すべきなのだ。
で、何故それが出来ないかというと、文化に対して実のところ
企業のトップも強い思いを持たずに文化事業をやっているからではないのか?
きっと強い思いがあれば言い切れるはずである。
いや、話がそれている。
つまり三権分立させるべきなのだ。
芸術は企業だけのものでも、作家だけのものでも、ファンだけのものでもない。
それは、文化そのものがそうであり、目に見えないものは
つまりそういうもので、それを築き上げる必要があるのだ。

昔思ったこと。
国家による戦争が無くなっていき、経済社会が発展していくと
国家による戦争ではなく、企業による戦争が始まるのではないか。
現在起こりつつあるのはそれではないのか?
アメリカ本土にはもう南北戦争もないし、世界大戦もない。
巨大な軍事力で他国を何らかの理由で攻撃することはあっても。
しかし、一方でアメリカの中には貧富の差が巻き起こっている。
これは、経済戦争の勝者と敗者ではないのか?
企業および株主はその資本を投げつけあう。
企業の価値が上がったとき、労働者の中で得るものを得る人は
どれだけいるのだろうか?
国と国が戦争すれば、死ぬのは軍人であり、民衆である。
企業と企業が買収合戦をやって、首を切られるのは一般社員であり、
被害を受けるのはその家族だ。また、場合によっては、経済的優位のため、
企業が各地にたてた工場をどんどんと移転させていく、焼き畑農業のように、
その後に残るのは、農地にもならない無用な工場とおおくの失業者。
地方に大きなモールをつくって、採算が悪ければ撤退して。
しかし、その間に地域の小さな商店はつぶれていて、
その後には何もなくなる。
これは、まさしく企業による戦争状態ではないのか?
戦争状態では文化は徹底的には除される、もしくは、悪用される。
ヒトラーの行為がその頂点。
文化をないがしろにしようとする企業の行為もこれに近しい。
戦争に向かった時、その始まりに対して警鐘をならしきれず、
その行為が巻き起こす悲劇を見るにいたって初めて抵抗し始める。
それでは遅い。もちろん、今の経済行動が全て悪とは思っていない。
ただ、やはり三権分立的精神が必要で、バランスをとるベクトルが必要
だと思うのだ。それに対して、自民党民主党もその役割には不足がある。
株主も経営者もその役割には不足がある。
哲学、芸術という手法をもって、主張する必要があるのではないかと、
そう思うわけだ。