特異な人々を描いたトーマス・ベルンハルトの破滅者 

トーマス・ベルンハルト

トーマス・ベルンハルトは、オーストリアの作家。陰湿な文体で、ときに祖国をひどく批判することから、本国では支持されず、一方で本国以外からはその得意な文体と文学表現により評価される作家。
多くの作品は、段落がなく、ただひたすら独白のように文章が続き、その独白の中から情景を描いていくというスタイル。ある意味では脱構築主義な作家であるともいえるが、一方で主題となる感情面は繰り返し執拗に描きながら、一方で時間軸は着実に進ませていき、その時間軸に従い、その感情面が少しずつ変化していく具合が、主題を繰り返しながらも、構成されていくシンフォニー的なものも感じさせる作家。

破滅者

私が今回かった、破滅者と題された作品は、「ヴィトゲンシュタインの甥」と「破滅者」の2つの作品を収めたもの。前者は、文字通り、かの有名な哲学者ヴィトゲンシュタインの甥であり、ベルンハルトとも交友のあった人物を描いたもの。もう一つの作品は、ピアニストグレン・グールドがある意味では主人公であり、そのグレン・グールドと一時期同じ師に習っていたベルンハルトとヴェルトハイマーという人物の3者を描く作品。
いずれも、特殊な家計に生まれ育ち、そして、普通とは異なる人々を描く作品。
ただし、あたかも、ノンフィクションであるかのようにも取れる作品ではあるが、どこまでが実際の事実であるのかは定かではない。

ヴィトゲンシュタインの甥

名家ヴィトゲンシュタイン家に生まれながらも、精神的に通常ではないと判断されたパウルを描く。呼吸器系に病を抱えていた作家が入院している病棟と隣り合う病棟にある精神病棟に入院しているパウル。その事実を知り、そして、そのパウルを回想しながら、名家とは、ウィーンとは、通常であるということとはなど一般常識に対する疑念がここに表現される。病棟の姿から始まるのであるが、一方で、パウルは、ウィーンきっての音楽通であるとも言う。オペラの評判が良いか悪いかは彼次第というほどであるとか。歴史的にこれが事実なのかどうかは私は知らないが、ただ、パウルがある種の能力を備えていたことは確かなのだろう。しかし、一方で、因果が同前後しているのかは不明だが、家族には受け入れられず、精神病棟に入院するまでになる。また、やがて資産も底をつき困窮さえする。ベルンハルトは、このギャップを描いているのだろう。そして、特異な恨み節とも取れる陰湿な文体が、一方で構造を配した自由な文体で、栄光と悲惨を行き来しながら、ときにウィーンや時代そのものをこき下ろす。

破滅者

もう一つは、かの有名なピアニスト グレン・グールドも描かれる作品。ただい、実際の主人公であり、破滅者であるのは、ヴェルトハイマーである。ベルンハルトも含め、この3人は、共通のピアノの師ホロヴィッツの元に学んでいたという設定になっている。グレン・グールドという天才性を描き出すという意味で、あえて作り出された物語がここに描かれていると捉えるべきなのだろう。
そのグレン・グールドのあまりにもの天才性の前に、自らも天才でありながらも挫折したヴェルトハイマーと著者であるベルンハルト。ベルンハルトは、その後作家としてなんとかなったが、一方で、ヴェルトハイマーはまさに破滅者として、最終的に自殺に至る。やはり、著者も含めて孤独で不幸と感じられる人物が描き出されているがゆに、文体は、重々しく、そして、皮肉に満ちている。潤沢な財産までもありながらも不幸な人物。その暗澹とした文体は、その人物そのものを自省させているようでもあり、一方で、そのような環境に対して、批判をしているようでもある。ただ、ベルンハルトのこの暗澹とした文体には、なぜか希望が感じられる。その一つは、彼はそのすべてを批判するからである。個人そのものも、一歩で、その個人を取り巻く環境も。上記で、オーストリア本国を批判しすぎていると捉えられているとも書いたがそこは、ある意味では間違った捉え方であり、そのすべてを批判するのがベルンハルトであり、それはある意味では公正な態度であると思う。ただ、この作品は唯一グレン・グールドが天才として産前と輝いていて、おのヴェルトハイマートの対比が絶望のようでもあるが、一方で、グレン・グールドが、そしてそれが象徴する音楽や芸術といったものが、対極の希望として存在しているということを描いているようも感じた。

ベルンハルトとミラー

私にとっては、ベルンハルトは、ヘンリー・ミラーと対極であり共通であるという感覚を持っている。ヨーロッパ的とアメリカ的との違いとも言うべきか。文体の陰陽の違いがあれど、従来の文体や文章構成といったものに対するこだわりを表面的には全く無視をして、一方で、独自の構成をそこに内包させている。そのうえで、思ったことを自由気ままに書いているとも取れる口語調の文体は、この二人の共通点であろう。しかし、誰もが気づくように、ベルンハルトは究極に陰鬱でありネガティブに内にこもっていくが、ミラーは究極に陽気でポジティブに突破をしていこうとする。ただ、そこには結局時代への嫌悪に基づいた批判と、その批判による変化へ突き進もうとする意思は共通でもあるように思う。都市を嫌悪しながら、田舎をさらに嫌悪し、都会であることをむしろ好む姿などは。
この二人の作品を対比として読むと、時代を見つめる目の鋭さと突破力を与えてくれるようにも感じる。

意外と読みやすい

で、ベルンハルトというと有名な作品で「消去」という作品もあるが、私の個人的な感想では、消去よりもこの作品のほうが圧倒的に読みやすいし、いろいろと思考を巡らせやすいと思う。もちろん、その分圧倒されるような特殊な文体とその発想の方向性による衝撃力は弱めではある。なので、まずは無難にベルンハルトに入りたければ、この作品はおすすめです。一方で、圧倒的な文章世界を堪能したければ、「消去」をおすすめします。

破滅者

破滅者