ヘンリー・ミラー 「冷暖房完備の悪夢」

ヘンリー・ミラー

米国を代表する作家。自由奔放にも思える人生を、自由奔放に描く、私小説とも、日記とも、文学とも取れる自在でかつ痛烈な文章で描く作家。
数年をかけて、水声社から刊行されていたヘンリー・ミラー・コレクションの最後を飾る作品として、「冷暖房完備の悪夢」が刊行されたので、読んでみた。

アメリ

この作品は、ヘンリー・ミラーアメリカ旅行における体験をベースにした作品。第二次対戦の始まる直前あたりの時期にもあたり、そういった時代の情景を知るという事もできる作品。
作品自体は、ヘンリー・ミラーの他の知られた作品に比べるとトーンが穏やかである。より日記に近い文体でもあり、かつ、皮肉にしろ女性関係にしろが全くと行っていいほど出てこないし、圧倒的な慌ただしさというものもない。

冷暖房完備の悪夢

ただ、その表現が、このタイトルと相まってくると、少し様相は違って感じられる。「冷暖房完備」と「悪夢」。原題でいうと「Air-Conditioned」「Nightmare」。
快適と不快この2つを同居させたタイトルは、ある意味、ここで描写されている穏やかさの一方で、そこにある不穏さを示唆させてもいるのだろう。
戦争間近というところではあるものの、穏やかに見える光景。一方で、芸術に対する態度であるとか、セレブのパーティーなど、社会の表と裏を所々で、際立たせながら描き出してもいる。

熱帯夜の夢

甚だ、この描写は面白い。ある意味、現代にも当てはまるだろう。日常の雰囲気と一方で社会をドライブし進んでいっている方向の落差。現代に置き換えて言えば、むしろ、「熱帯夜」の「夢」なのかもしれない。誰もが齷齪することに意義を感じ、ワーカホリックと意識高い系を称賛し、ただ、不自然で実は暮らしづらい生き方を選び、その向こうには、なにか夢が実現されるとそう思い込もうとしている。だけど、実際のところこの世の中は、いや世の中という言葉はあまりにも広義すぎる、我々が生きるということは、どれほどに快適になったのだろうか。いや、やはり、「冷暖房完備」の「悪夢」は今も続いているという方がやはり正しそうだ。誰もがなんとなく快適に思えるものを得ているにも関わらず、不安に苛まれ、ときに「悪夢」を恐れ、いくら、快適になってもなお満ち足りない。
ヘンリー・ミラーの見通しているものが、なんとも深いことだろうかと、改めて思わざるを得ない。

読みやすい

ヘンリー・ミラーの作品の中では読みやすい部類の小説でもあるので、ぜひ読んでもらいたい。