2010年の文学を自分のブログから振り返る
文学
さて、大晦日。今年最後の記事は、2010年の私的文学体験を振り返ります。ちなみに、今年は、この記事で、135エントリーということで、まぁ、それなりに書きまくりました。で、文学の方は、13冊読んだけれども、まぁ、1,2日で読めてしまうのもあれば、数ヶ月かかるものもあるので、まぁ、何冊読んだかなんてのは目安に過ぎない。
最大の事件
今年の文学界の最大の事件はなんだろうかと、下世話な話はここでは全く取り扱わないのでおいておくと、とりあえず、ノーベル文学賞がバルガス・リョサにわたったというところか。これで、ひととおり中南米文学の文学者に賞が渡ったという感もあるので、2011年あたりは、別の側面でも注目をあつめる東アジアにやってくるではと憶測してみたりもする。ローカル
しかし、文学の世界というのは、当然のことながら、言語という枠組みがあって、このインターネット社会においても、その言語によって依然としてローカルという枠組みに拘束されている。それは、例え電子書籍が現れても変わらないだろう。ただ、電子書籍により出版のハードルが下がるということが起こると、それは、様々な影響を与えるに違いない。また、その言語の枠組みとテクノロジーを考えたときには、むしろ、言語の枠を外すような文学が生まれるべきという側面もあるのかもしれない。つまり、自動翻訳しやすい文章による文学の構築により、翻訳の壁をそもそもの創作の段階から下げてしまうという手段。文学というのは、とかく、その言語を読めるだけで読めるものではない。だとしたら、どういう手法があり得るのだろうか?これは非常に面白いテーマだと思う。
さておき
そんなことはさておき、もう少し具体的に2010年の文学をふりかえると、上記の翻訳の壁とも関連するのだけれども、今年の私にとっての大きな出版事件は二つで、一つは、現代アメリカ最大の作家といってもいいだろうトマス・ピンチョンの作品の出版が新潮社から始まったこと。これまでも、いくつかの作品は出版されていたが、日本語翻訳がなされていない作品も多く、今後が楽しみ。そして、もう一つが、20世紀アメリカ文学の巨人の一人、ヘンリー・ミラーの作品をシリーズ出版しているヘンリー・ミラーコレクションが完結したこと。最後に残されていた、薔薇色の十字架刑シリーズとも呼ばれる、セクサス、プレクサス、ネクサスが出版されて、ついに完結。しかし、このトマス・ピンチョンの作品も、ヘンリー・ミラー作品もいずれもある種の難解さも伴う長大な作品であるが故に、そう簡単に読み切れるものではなく、我が家にも、積読状態になっているものもある。それに迫られながら、順次読み進めている次第。
ただ、ここであげた二人の作家がいずれもアメリカ文学、つまり英語文学であることがいろいろ示唆する。つまり、最も翻訳がなされ易いであろうアメリカ文学ですら、このように翻訳出版に困難が伴うというのだから、なかなか、この文学を広めることの難しさを感じる。
とりあえず、トマス・ピンチョンはメイソン&ディクソンを(記事はこちら)、ヘンリー・ミラーは、セクサスを(記事はこちら)、今年は読み終えた。