閉鎖空間と開放時間メキシコの文豪カルロス・フエンテスの「誕生日」を読んだ



カルロス・フエンテス

カルロス・フエンテスは、昨年亡くなったメキシコの作家。日本での翻訳では、「アウラ」などが知られている現代文学者。
ラテン・アメリカ文学の隆盛のきっかけと成った作家の一人でもある。


誕生日

で、私が読んだのは「誕生日」という作品。私は、この作家の作品を読むのが初めてなので、この作風が彼の典型的な作風なのかどうかはわからない。が、この作品を読むとこの作家がただ者ではないということがよくわかる。なんせ、難解。しかも、哲学的と簡単にいえるような難解さではなくて、読もうとする側の読み方をずらして単純な読み方をさせてはくれないような作品が、この「誕生日」という作品。


空間と時間

とにかく、空間と時間からがずれている。ある男、主人公。ある部屋にいる。そこから始まる。当初はその空間において、視覚を限定されて、その状態で、空間の探索が始まる。しかし、その空間は、どうにも把握が困難な空間であることが明るみに出る。
しかし、把握が困難なのは、空間だけではないと言うことがやがて明らかになる。時間さえもずれている。ある男は、自分と同じ男を観察している。これを、作家と主人公の関係というような単純なメタ文学な読みをしてはいけない。そうではなく、時間がずれてしまっている。空間に対して狂った認識が、今度は時間に対して狂っている。


行き過ぎる

そして、その時間は急速に進んでいく。彼を一人取り残して。そこにある理不尽さや、疑問なども、取り残して、物語は進んでいく。
その物語は、まるで、夢であるかのようにも感じる。だけれども、どうも現実に違いないようでもある。


誕生日

何故このタイトルは誕生日なのだろうか。彼には子供がいる。その子供の誕生日だから、帰らないといけない。だというのに、彼はここで何おしているのだろうか。そして、むしろ、彼は死に直面する。
そのときに、狂った時間は、再び正常に戻ろうとするかのようでもある。それと同時に、空間もまた、正常に戻ろうとしているかのようでもある。
つまり、それが、誕生日ということなのだろうか?


混沌の中

この作品の展開は混迷を深めていく。五里霧中を進むのは、この主人公ばかりではなく、当然読者もその中を進むしかない。しかし、やがて霧は晴れるのだろうか?作品上は、まるで霧が晴れたかのように描かれているようにも感じる。しかし、この最後の瞬間に、読者は、作品から置いてきぼりを食って、未だに五里霧中にある。


心地よさ

もはや、この混迷そのものを心地よいと良いと感じるしかない。いや、むしろそう感じる。難解文学というのは、なんとうのか、M的に味わうしかないようなところもある。わかったかどうかという次元ではなく、どう、無理矢理解釈したか、納得したのか、それが全てである。
そういった難解文学にしかない快感を感じることの出来る作品が、この「誕生日」という作品である。


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誕生日
発売元 : 作品社
発売日 : 2012-09-21 (単行本)
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