「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」を読んでみた
とりあえず
2010年まとめ記事は、ある意味メインイベントである音楽編の2010年ベストアルバムを選ぶという仕事が残っているのだけれども、とりあえず、閑話休題で、年末年始の時間を利用して読んだ本、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」を今回は取り上げる。この書籍は、記号論学者であり、小説家(「薔薇の名前」が代表作)であるウンベルト・エーコと、脚本家であるジャン=クロード・カリエールによる対談を書籍化したもの。なお、ジャン=フィリップ・ド・トナックという人物が司会的な立場をとっている。タイトルについて
ところで、この「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」というタイトルは、原題に対してかなりの意訳。間違いとは言えないのだろうけれども、元々の本意はゆがんでいる気がする。まぁ、カント的には道徳を逸脱する行為ではないのかもしれないが。とはいえ、帯にはさらに、ここ最近のブームを意識して、「紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?」と書かれているが、ここでの対談は、そんな話は少し出てくるだけでメインではない。まぁ、売り上げのためには少々脚色するのは悪くはないが、やりすぎではないかとも思われる。愛書家
まず、この書籍の対談を理解するのは、この二人に共通する、愛書家という側面に言及すべきだろう。つまりは、確かに書籍についての対談なのだけれども、その書籍に対して二人は、単に、小説家や脚本家という文章を職業にしてるというだけではなくて、愛書家であるという立場であるということ。しかも、単に小説をよく読んでいるというそれではなくて、インキュナブラと呼ばれるグーテンベルグにより印刷術が発明された直後から15世紀内に作られたごく初期の書籍をはじめとした古書の稀少本を収集している人物であると言うこと。つまりは、尋常ならざる書籍愛を持つ、いわば、マニアによる対談である。本は死なない
ちなみに、タイトルや帯にあるような内容は、最初の章に述べられているだけです。彼らのスタンスは、本は死ぬわけがないと言うこと。これは、さらに読み進めていけば、彼らがどれだけ本を愛しているかということからもわかるスタンスではある。また、そのことに対してあえて客観的な立場にたって分析するようなそんなことを目的にしている対談ではないのは読めばすぐわかるだろう(だから帯の言葉の罪は重い)。書籍と車輪
この前半あたりで重要な話題の一つは、書籍というのは車輪と同じで、もはや、改めて発明し直すべきものではなくて初期から完成度の高いそれであるということ。なので、これが改良されることも、これが無くなることも無いと言うこと。電子書籍
一方で、彼らが電子書籍やインターネットに批判的なわけでもない。読みながら私が思ったのは、電子化されることに寄る圧倒的なアーカイブ性と複写性の向上は特筆すべきものがあると言うことだと思う。少し話がずれるけれども、最近私も、大量のCDをリッピングしてデジタルデータに変えているのだけれども、確かに、ある種の趣は無くなるが、しかし、デジタルデータ化されると圧倒的にそこへのリーチが容易になる。これは、書籍が電子化されても同じことが起こると思う。その圧倒的なアーカイブを扱いきれるかの問題は発生するけれども検索可能性は格段に上がるだろう。また、もう一つは容易なバックアップにもある。ただ、このあたりは、書き物進化がたどってきた道筋とそう変わらないのではないだろうか。口承から書き写しという行為になり、さらに印刷術にかわり、それが電子化されると。複写はどんどん容易になり、アーカイブは拡張されていき、図書館がハードディスクに変わると。つまり、電子化による新たに考慮すべきことはあるけれども、それが何かを駆逐するものではないと言うことだ。フィルタリング
むしろ、電子化云々よりも、そこから話が展開されるフィルタリングの問題のほうが、話題としては重要だと思う。元々、口承や書き写しの時代であれば、そもそも、残されるものは限られていただろうし、さらには、その文明が書き言葉を持っていたかによっては、書き言葉を持たなず、かつ、すでに絶滅した文明については、なにも書籍としては残らない。さらに時代を経ていくと、今度は焚書によって、書物を焼き払って抹消してしまったり(これは主に思想統制につながる)とか、図書館ごと燃やす(征服と文明の破壊を意味する)など、抹消が行われもした。さらに、歴史については、支配者による書き換えが行われることもある。また、現代で言えばそもそも出版社が出版するかどうか、そして、それが再版され続けるのかということもフィルタリングでもあり得る。その点で言えば、インターネットは、少なくとも発信に関しては、フィルタリングは全くかからないといっていい。もちろん、現在では検索に引っかかるかどうかがすべてなので検索が一種のフィルタリングとも言えるかもしれない。いずれにせよ、このフィルタリングという問題が、時代毎に意味合いが変わりながらも、常につきまとう書籍は、それは、電子化されても常にまとわりつくとういうことになる。その中で、そもそもそのフィルタリングの影響をつけ続ける書籍というものはどうあるべきなのか、ということがむしろ重要な論点であるのだろうと思う。
百科事典
上記の延長で言うと、百科事典が今や、各人が個別に持っているようなものだという指摘が面白い。かつては、百科事典を編纂する会社がいわば、一つの基準となっていたわけだけれども、ネットで検索すれば、何らかのものが出てきてそれを各人がどう判断して理解するのかと言うことになっているのが現代。そこから考えるとある意味では、アナログの百科事典の衰退は、単に、デジタルの無料(もしくは廉価)のものにとって変わられたというだけではなくて、そういった一つのいわば権威によって定められた意味を多くの人へ広めるという形態が終焉したということかもしれない。ここのところあるデジタルアナログ論争においては、こういった観点を持っておかないとただの時代錯誤になり得ると思う。書籍マニア
しかし、この書籍は、本当に面白い。あえて、マニアと呼ばせていただくけれども、マニアの話というのはとても面白い。その圧倒的な偏愛。はっきりいって、この書籍の大半は、その書籍愛を二人で語っているという要素が強い。いろいろな重要な言及はあるけれども、立ち位置は常に書籍愛にあるから、客観的社会分析ではないのだ。そして、その視点からの話はとても参考になるものだらけ。たとえば、本棚にある本のすべてをちゃんと読んだわけではないし、読めるものでもないという話。本棚の前にただいて眺めるだけで楽しいという話。時には、本棚の本を並べ替えてみるけれども、それを完全にあるルールで並べることは不可能だし、やるべきではないという話。そして、稀少本は手に入れた瞬間にほぼ満足してしまうという話。どれも、書籍にかかわらず自分の好きなものに対するスタイルに共通するそれで、時に、読み切れない本を前に挫折感だけを覚えることもあるけれども、しかし、むしろそれもそれで、それを入手したというだけにも、そして、それが書棚にあるということだけでも意味があると思い直すと何とも気楽になるし、確かに、そういう側面はある。
生き残る
そして、書籍の重要性の一つに生き残るということがあるとの話。これは、書籍にかかわらず、生物の根本原理として生き残らなければ意味がないといえる気もする。たとえば、昨今だと、電子書籍の話も含めて、重要度の高い書籍が出版されないという指摘がある。しかし、それは今に始まったことではないということ。確かに考えればそうだろう。それでもなお、現代までに残ったものは残っているし、残っていないものに価値があったのかどうかはわからない。また、残っていたとしても、価値のないものもある。いずれにせよ、残るものには、それなりの何かがあるという指摘。確かに、たとえば、今この瞬間であれば、本屋に平積みされている本の方が圧倒的に読まれていて、ユリシーズなんて、たまに誰かが買うだけだし、その買った人が本当に読了するかどうかは、かなりあやしい。だけれども数十年後にもなお残存している可能性がある書籍はどちらかというと、ユリシーズである可能性の方が高いだろう。生き残るということは何とも容易なようで単純な話ではない。もちろん、これも、先述のフィルタリングの話につながる。語ること
よく、読書離れだとか、出版不況だとか、低俗な書籍に氾濫などといわれるけれども、この本を読んで思ったのは、それをなんとなく批判的に話題にしているだけでは全く意味がないのだということ。むしろ、本好きが本について、もっと語るべきなのだと、この書籍のように。そして、それはあえてマニアックなあまり誰も触れないような本であるべきなのだと。そうすることで、そこに秘境のようなすばらしい世界があるかもしれないと思う人々を作り上げて、そして、書籍の世界に引き込んでいくことが必要なのだと、そう感じた。特にマニアックに書籍を語るというようなものを私が読んだのは、この本が初めてといってもいいと思う。つまりは、そういう書籍がなさすぎるのではということ。そして、本当に永続する読書愛好家を産み出すには、こういうものが必要なのだと思う。
書籍を愛すること
なので、この本は、電子書籍が云々ということではなくて、「書籍を愛すると言うことはどれほど面白いことか」ということに触れることの出来る本として帯に紹介すべきだったのではないのかと私は思う。勘違いして、購入してしまった人に、むしろ悪印象を与えてしまっては、これは、元も子もないと思う。この帯こそ、目の前の何かにとらわれて、へんなフィルターをかけてしまった悪い例の見本かもしれない。関連リンク:
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