悲しみの受け入れ方 バオ・ニン 戦争の悲しみを読んで



ついでに

残雪の”暗夜”を読みたくて購入した文学全集に収められていたという理由で、ついでに読むことになったのば、ベトナム文学者 バオ・ニンの”戦争の悲しみ”。


ベトナム戦争

ベトナムの戦争に次ぐ戦争の歴史を生き抜いた軍人である人物の回想録的文章という設定の作品。
ベトナム戦争というと、ハリウッド映画のイメージが強くて、米国寄りの表現のなかで、ベトナム側の人間性であったり感情についてはあまり触れることがないといのが現実だと思う、少なくとも私にとっては。
そういう意味では、この作品を一通り読むとベトナム戦争ベトナム側から感じることが出来るという重要な要素はある。


全体

そんな、ベトナム戦争を中心とした作品なのだけれども、作品の構成は少々手が込んでいて、時系列に事件を並べている訳ではなくて、戦争を中心として、戦後や戦争の始まる直前(そのときが丁度主人公が17,8歳というところ)までを、時代を行き来しながら描いている作品。その中で、主人公が恋人に対する思いと共に、戦争があったが故に、そして、時には戦争とは全く関係なく、人が生きる人生としての様々に感じる感情の揺らぎを描いている。


構成

先述のように、時系列ではない作品の構成は、当時のベトナム文学的には斬新であったらしいが、世界文学的な視点からすれば、特に優れた構成ではない。むしろ、この構成には、文学的な狙いが感じられず、劇的な演出のために使われているだけなのがいただけない。むしろ、こういった構成の崩しは、読者を完全に混乱させることによって、感情のゼロ点をキャリブレーションし、先入観から自由になった感覚を読者に呼び起こすことに使用されるべき。であるものの、そういった事には全く寄与しておらず残念。


戦争と私的な感情と

社会的な現実は、人の人生に大きな影響を及ぼす。だから、小説の中ではそういった社会的な現実と私的な感情が入り交じりながら進むのは、確かに当然なこと。ではある物の、この作品ではそのあたりがあまりにも混沌としている。それは、戦争による精神的な混乱が生み出した物として、戦争の悲しみとして表現されていると捉えるというのもあり得るけれども、結局この最後のほうに描かれた場面からするとそうはならない。恐らく、作者はさらに劇的な効果を狙って、戦争の悲しみを描いたつもりなのだろうけれども、この結末では、結局戦争に関わらず、あまりにも冷たすぎる世間にたいして甘い認識で生きていこうとした主人公の悲劇としか感じられない。さらに、良くないのは、あまりにもの落差。当初は、主人公の存在が戦争の英雄的な感覚であったにも関わらず、この最後に描かれている場面を読むと、その感覚とはまるで違う人物像が浮かび上がってくる。その落差も作者の狙いなのかもしれないけれども、こういった落差の付け方では、むしろ、全体の物語の整合の混乱としかうけとれない。構成の崩し方が、結果的にしっくり来ないのも、最も重要なこの要素に矛盾が感じられることにも起因するのではないだろうか。


誇張と現実

現実を誇張して描く手法はそれこそ良くある手法なのだけれども、このあたりもまたこの作品は混乱している.ジャーナリスティックなリアリズムで描こうとしているのか、エモーショナルなリアリズムで描こうとしているのかがはっきりしない。おそらく、こういった作品では、戦争の場面は冷酷なまでにジャーナリスティックなリアリズムで描くべきで、一方で精神的な混乱を描く場面では、もっと極端な現実によって、エモーショナルなリアリズムに向かうべきだと思う。だけれども、この作品は、何処までがリアルで何処までがおとぎ話なのかがはっきりしなくて、結局全てがおとぎ話にすぎなくて、ある一人の女性のことをいつまでもどんな状況でも忘れられない一人の悲しい男の物語に終わってしまっている。それは、それで作品としての意味はあるけれども、そこに、この戦争の現実を利用すると、かえって、戦争の現実が陳腐になってしまう。折角”戦争の悲しみ”と題しているのだから、そうではないだろうといいたい。その意味では、たまたま無理矢理かつてつけられたという”愛の行方”のほうが、見事にマッチしたタイトルになっている。


定かではない

と言うのが、日本の現代に暮らしている私が、文学作品としてこの作品を感じた印象。ただ、もしかすると、作者の意図としては、むしろ、戦争を生きたのではなくて、普通に恋愛などに感情を燃やして生きた人間を描こうという意志だったのかもしれない。ベトナム戦争の現実を知らない私からすると、そのベトナム戦争の描写に意味を持つべきと感じるのだけれども、むしろ、作者としては、そこには意味を持たせたくなかったのかもしれない。このあたりはよくわからないが、いずれにせよ、文学作品として特筆すべき作品ではない。


悲しみの捉え方

このバオ・ニンの”戦争の悲しみ”と残雪の”暗夜”が同じ本に収められたというのは、単純に小説の長さとアジアというくくりの偶然なのだと思うけれども、しかし、この二人の作家の捉え方の両極性は非常に興味深い。逆に言うと、この二人の作家に対する読者の好みは確実に重ならない。バオ・ニンの作品が良かったと感じる人は、残雪の作品を良かったとは思わないだろうし、その逆もまたそうだろう(私は、後者)。
それは、悲しみの乗り越え方による。バオ・ニンも戦争の経験をもつ、残雪も中国で政治的に迫害を受けた経験を持つ。それぞれ、独特の国家環境の中で、様々な影響を受けた人生を生きている。その人たちが描く世界。バオ・ニンは、そこにある悲しみをひたすらに描いてい、混乱していくひとびとのその感情を捉えようとする。一方で、残雪にはそういったところはなく、浮世離れした人物が、村から孤立しながらも、なお、そこに坦々と生きている人を描く。悲しみに真っ向から立ち向かい、告発するのか、それとも、悲しみを超越して、その向こう側にある生を称えるのか。
悲しみの受け入れかたのこの大きな差異は、しかし、注目に値する。


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発売日 : 2008-08-09 (単行本)
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