ガブリエル・ガルシア=マルケス:わが悲しき娼婦たちの思い出



1.漸く
ずいぶんと邦訳されぬままに放置されていたガルシア・マルケスの近年の作品が続々と邦訳出版されるとともに、過去の作品も続けて新潮社から出版になる模様で、そんななかかから、現時点では最新作になるはずの「わが悲しき娼婦たちの思い出」をご紹介。
ちなみに、ガルシア・マルケス作品の出版に対するコメントを大江健三郎氏がしていてその中にA氏が云々と書いているが、これは、明らかに安部公房氏のこと。安部公房は、かなりガルシア・マルケスの作品を絶賛していたし、確かに、安部公房作品ファンには、ガルシア・マルケス作品はお薦め。しかし、何故、大江氏はこのような書き方をするのだろうか?多分このA氏という記述を見て誰か判別できる人間はそれなりの文学ファンだけだと思う、相変わらず、意味不明な人物だ。


2.内容の前に
それはさておき、内容は、90歳を迎える人がその夜に14歳の処女を買うということを発端にして描かれた作品。帯などには、淫らに過ごしたいなどと扇情的なことを書いたり、ナボコフの「ロリータ」を引き合いに出したり、川端康成の「眠れる美女」を引き合いに出したりしているが、はっきり言って、これらを参考にすべきではない。売るために、人の目を惹きつけようとするのはわからなくはないが、明らかに作品の内容から逸脱している。ちょっと出版社の品位というか読解力を疑いたくなる。


3.本題へ
全体的には非常にコンパクトな作品で、「百年の孤独」などの大作とは重量感が全く異なる。また、同じようなコンパクトな作品としては「予告された殺人の記録」という名作がある。この「予告された殺人の記録」ではコンパクトながら非常に複雑な構成を持たせて多面的に事件が描かれていて、短いながらも凝りに凝った作品となっているが、この趣とも今回の作品は異なる。
この作品では、そういった複雑で猥雑な要素は影を潜めていて、全体の構成は若干ガルシア・マルケスらしい、時間と空間の軸を少しずつ不連続的に動かしながら、最終的には、うまく全体を描き出すという方法論が見えなくはないが、その要素は前面に出てはいない。
そういった要素に代わって現れてきている作品の特徴は、とても静かな作品であるということ。マジックリアリズムと評されることもある作家だけに、その表現が表すように、猥雑感と土着性を強く感じさせる作品を多く書いてきていており、とても賑やかな作品の印象が強かったのだが、この作品はとても静かである(その意味でも、この作品を淫らに過ごしたいという表現で表すのはとても不適切なのである)。しかし、この静かさ単純な静かさではなくて、とても多くの含みを持っていてこの作品の面白さになっている。そのあたりをひもといていく。
登場人物の年齢を考えると年齢の割には元気という捉え方もあるかもしれないけれど、過去を振り返ったり、職の引退云々という話しが出てきたり、そして、それらにまつわる登場人物の捉え方が、例えば、過去を猛然と悔しがるといった風ではなく、過ぎ去った現実として淡々と捉えているようでもある。この様子には、どこか悟りの境地にある感性を感じさせる。これは、ここでは90歳という登場人物の設定による必然性として捉えるべきではなく(90歳にしては元気すぎるというアンマッチがある)、その境地にある人物、という捉え方が必要だと思う、何故そのような境地に彼はあるのか、そして、そのような境地にある人物が、少女に接触してそこに発生する感情とは一体何かということ。これがこの作品のメインのテーマになる。
その14歳の少女である。14歳の少女が処女であるという設定にしても、この設定にそのものとしての意味はない(ロリータのような社会へ衝撃与える現実性とは全く異なる)。対立概念のとしてそのような設定になっているだけである。重要なのは、先述の悟りのような境地にある人物に対して、全く逆の立場にあると想起される人物をぶつけているということだ。そして、その人物をぶつけた結果として、主人公に現れる様々な変化、これがとても興味深く表現されている。まさにここのところに、静かな作品ながらに、強い執念のような情熱を感じることが出来る。
全体の作品の流れはこのようにまとめ上げることが出来る。


4.展開して
あまり作品の内容に触れてしまうとネタバレになるので、ここからは、この作品を読んだ心証を元に、さらに展開して考えてみる。
この作品はとても静かである。そしてどこか恋愛小説的な趣を感じるところもある。確かに、そうなのだ、恋愛小説なのだ。紆余曲折の末にガルシア・マルケスがたどり着いた恋愛小説である。90歳を超えた主人公のそのミニマルな生活と思想は何処かベケットの登場人物的でもある。しかし、その人物に恋愛をさせる。存在とは、連帯であり社会である、存在の基本単位は個人ではあるが、個人だけでは存在せずに、社会になって始めて存在する(また時間軸も重要な要素だ)。そして、その中の最もミニマルな存在形態として恋という接続状態を定義することが可能のように思えてくる。複雑な社会の絡み合うような接続状況を「百年の孤独」や「予告された殺人の記録」で描いてきた作者がここにきて、最もミニマルな存在の接続を描いているということは、とても意義深いことだと思う。ベケットは、切断された状態までは描き出したが、それを再接続することはしていないとも捉えることが出来るが、ガルシア・マルケスはその再接続のある一例をこの作品で考察しているとも捉えることが出来ると思う。
小さな作品ながらもとても深い作品をガルシア・マルケスは提示してくる、さすがだ。

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わが悲しき娼婦たちの思い出
発売元 : 新潮社
発売日 : 2006-09-28 (単行本)
売上ランク : 2509 位 (AMAZON.co.jp)
¥ 1,890 通常24時間以内に発送
評価平均 : /2人
究極の御菓子を一口だけ齧ったような気持ち
久々のマルケス
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