壮大なる支配者の物語 ガルシア・マルケス 「族長の秋」



百年の孤独の次

南米を代表する作家、ガルシア・マルケス氏による長編「族長の秋」とこのたび、新装再出版にともない、同じ本のなかに収録されている、この「族長の秋」近辺に書かれた短編6作品を読んだ。ちなみに、10年ぐらい前にもいずれも読んだのだが、新装にともない再読。
この「族長の秋」は、長編としては、ガルシア・マルケスといえば、という代表作「百年の孤独」の次に書かれた作品になる。


短編6作品

収録されている短編は、「大きな翼のある、ひどく年取った男」「奇跡の行商人、善人のブランカマン」「幽霊船の最後の航海」「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」「この世で一番美し水死人」「愛の彼方の変わること無き死」の6編。
いずれも、ガルシア・マルケスらしい、誇張の境地にある世界。偏執狂的な行動というのか、ある特異な価値にとりつかれた個人、もしくは集団の辿る行動であるとか、その顛末をいずれの作品でも描いている。ある種の悲劇性とか悲惨さも感じるのだけれども、その価値観に染まった状態になると、それがむしろ通常の状態になるのかもしれない。我々の思っている、通常の状態というのは、どの程度相対的な物で、どの程度絶対的なのだろうか。


族長の秋

そして、偉大なる長編「族長の秋」。
ある国の支配者、大統領についての物語。支配者側を描いているので、「百年の孤独」とは反対から描いているともとれるが、単純な表裏では語りきれるものではない。
あくまで支配側から
その大統領の行動を通して、権力側の行動を描いた作品。一般民衆の生活については、ほとんど描かれておらず、いくつかの事件を通して断片的に描かれるのみ。これも、支配者側の情報状態を適切に描いた結果といえるかもしれない。たとえば、ここで一般民衆の不満などを克明に描いてしまったら、とてもつまらなく内容の乏しい三流小説になっていたと思う。あくまで、大統領の尋常ではない行動を批判的にではなくて、ある意味では滑稽に描いているところは、重要なポイントだと思う。
語り口
この作品で取られている語り口も、かなり特殊。「百年の孤独」においても、特殊な構成による語り口であったのだけれども、この作品では、「百年の孤独」とは異なる手法が取られている。まずは、時間軸の混乱。これば「百年の孤独」でもあったのだけれども、ここでの時間軸の混乱ぶりはとてもつもなくて、かなり注意深く読まないと、その時点での話題が時間軸上の何処の話しなのかよくわからなくなる。また、いとも自然に物語が展開してしまうので、いつの間にか別の話題に移るため、さらに捉えがたい。また、段落分けや台詞に当たる部分のカギ括弧なども排除されているので、それが、誰かの話なのか、ストリーテリングの一部なのかもよくわからない(細かく段落分けして、会話によるカギ括弧だらけでそこまでしても薄い本のさらに中身が薄い作品とは全く違う世界)。何故、そのような手法をとるのかと思う人もいるだろうけれども、そうしなければ描ききれないからが回答になると思う。例えば、全ての事件を理路整然と書ききれるだろうか?様々な事が三次元空間上の時間軸上で起こっていて、そして、それらが中途半端に相互影響している社会を描こうとしたときに。それを、描ききるための手法としてはかなり完璧な方法論だと思う。ジェイムズ・ジョイスのそれとはまた異なる手法で実現していると言ってもいいと思う。
作品
そんな混迷の中を読み進めていくことになるのだけれども、この支配の中で描かれている内容の重要な要素の1つは、誰が実際に命令しているのかが不明な状態が常であるところだと思う。時にそれは、妻であったり、腹心であると思っている部下による勝手な行動の場合もあれば、大統領の意に沿うことを目的とした部下の暴走であったり。単純に権力の暴走とだけでは説明できない混沌とした状況がそこにはある。また、大統領自体も混乱を引き起こすのだけれども、その動機が愛であったりなど、感情や欲望のままに動こうとしながら、一方で民衆の氾濫を恐れて隠し事をするために、またとんでもないことを起こしたり、母親の影を追ったりと、この大統領の未成熟ぶりも強く描かれてる。そこには、支配者に対する怒りの表現ではなく、支配という事の稚拙さが表現されていて、時に支配者が英雄として扱われてしまう現状に対する強烈な皮肉であるようにも思えてくる。また、分厚い権力構造のなかで、実際の権力者が誰なのかがわからなくなった状態に対して、だれも何処にも変革を実現する可能性を見いだせなくなり、ただその死を待つしかないという絶対的ではない権力の周りにはびこる官僚権力の構造の複雑怪奇さも描かれているのではというのは、少々読み過ぎか。
長大複雑混迷
かなり長くて複雑な物語だし、「百年の孤独」とことなり大統領を描いていることからも、生活する個人の感情への共感という部分を見いだしにくい作品なので、結構読みにくいかもしれない。携帯小説しか売れない国には不必要な作品かもしれないけれども、テキストの力に希望を持っている人は是非とも読むべき作品だと思う。


余談
途中に少し触れた文体についてだけれども、その文体について思っていることがあるので少し最後にまとめる。それは、この文体というのは、とても脳に素直な文体ではないのかということ。もし、我々が夢の中の出来事を全て語れるのであれば、こんな調子になるのかもしれないと。そして、もし、我々が過剰な意識によって制御された脳のアウトプットではなくて、制御されない脳のアウトプットを読むことが出来るとすれば、このような内容になるのかもしれないと思ってみる。いや、我々の脳は多分我々の思っている以上の反応をしているのではと、だから、心配事があると、その内容に類した、しかも不自然な事件が起こる夢を見るのではないかと。とすると、この誇張されたガルシア・マルケスによる作品というのは、表面的には大統領について描いているのかもしれないけれども、一方では、支配者の存在に怯える一般人のその脳の中で恐怖の結果生み出された妄想を出力したものと捉えることが出来るのかもしれないとも思う。そう、脳は確かに妄想に過ぎないのかもしれないけれどもちょっとしたことで非常に強いストレスを感じて様々なことを思い描いている臓器なのかもしれないと、そして、それを直感的に感じ取って、その脳に素直に描いているのが、ガルシア・マルケスなのかもしれないと。だから、これは大統領の物語であると同時に個人の脳の物語なのかもしれないという飛躍した思いこみをしてみてもいる。


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族長の秋 他6篇
発売元 : 新潮社
発売日 : 2007-04 (単行本)
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