アレハンドロ・ホドロフスキーのリアリティーのダンス



ホドロフスキー

鬼才というしかない人物、アレハンドロ・ホドロフスキー。その実に23年ぶりだという新作映画、「リアリティーのダンス」を見てきた。
さすがに鬼才というだけあってなのか、ほぼ満席状態でしたが、そんな観客をもきっと引かせたに違いない独特の世界でした。


エル・トポ

この人物を世に知らしめた作品の一つが、「エル・トポ」だと思います。
数年前に、映画館でこの作品が上映されていたので、そのときに見る機会があったのだけれども、これが、また、独特過ぎる世界で、オブラートに包むことなくグロテスクな情景を淡々と描いてしまうその手法が、まぁ、凄いと言うしかなかったのです。


自伝的

で、この作品「リアリティのダンス」ですが、書籍も出版されていて、ホドロフスキーの自伝的とも言える側面もあるようだ。といっても、完全なノンフィクションであるわけもなくて、自身の過去を題材にしながらの演出。
舞台は、独裁政権に支配されたチリ。主人公の一人が、幼少期のホドロフスキー少年。生い立ちにあるバックボーンによって、住んでいる世界になじみきれない少年。そして、なぜかオペラ調に歌う母親。そして、厳しすぎて、そして、改革を求め続けるような猪突猛進な父親。


混乱し続ける家族

少年は、周囲の環境との違和感に苛まれている。そして、父親は、最終的には大統領暗殺計画に向かうのだが、不思議な経緯で拷問の後に自由になり、しかし。
そして、父親の影を息子に見ながらも、結局のところ、その息子と父親を大きな愛で包んでいるかのような母親。
そんな家族の物語。


グロテスク

しかし、グロテスクですというか、自由です。まさに現実というのか、目を背けるだろう現実から目をそらさず、そこに、言い訳がましい演出をするわけでもなく、ただ、現実を描きます。そして、映画的な盛り上がりや明確な起承転結があるわけでもありません。なので、はっきいって、普通に見ると面白く無いし、時に、見たくないようにも感じてしまいます。もしくは、見てはいけないものを見てしまっているのではと思ってしまいます。


社会的背景とあいまみえて

社会的な背景とあいまみえて、生きていく人々は、そこで、自分の人生を時には、見失って、しかし、自分の人生とは何かと、平穏な暮らしなのか、それとも、何かを成し遂げることなのか、何かを成し遂げるための平穏な暮らしなのか、平穏な暮らしのために何かを成し遂げるのか。
その屈曲した社会との関係性から、身を守るためにはもう一つ別の軸の屈曲が必要なのかもしれない。
そのあらゆる屈曲がこの作品の中に表現されているように思う。
我々は自分の屈曲をうちに隠して、社会の屈曲から目をそらして、社会という大義名分の中に生きて、そして、すこしだけ愚痴ってみるだけ。


解放

精神の解放はどこでどうなされるのか。しかし、その精神の解放というそのものさえもが幻想に過ぎなくて、そして、その幻想を見ながら我々はむしろ生きていけるのかもしれない。


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映画『リアリティのダンス』公式サイト
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