ワタリウム美術館にて、草間彌生の60年代を



草間彌生

いまや、水玉模様やかぼちゃや突起物など派手な装飾と本人の得意なキャラクターで多くの人が知っているだろうアーティスト、草間彌生
昨今は、かなり知られる存在だけれども、その活動の原点は60年代のニューヨーク、一人渡米したころからはじまる。
現在、ワタリウム美術館にて開催されている展示、草間彌生展は、その60年代の彼女の活動を中心に紹介する展示。2011年11月27日まで。


記録

まずは2階の展示スペースから。過去の記録的な展示。壁面には、草間彌生さん自身による当時を振り返る言葉が並べられており、渡米の状況から、渡米直後の困難、そして、展示で徐々に成功していく様。
さらに展示室の奥まで行くと、壁面には記録写真。そして、記録映像。
ポップカルチャーが花開き始めて、反戦の合い言葉と呼応するようなハプニングパフォーマンスが行われていた時代。そして、彼女の象徴でもある反復と、男根的スカルプチャーの登場。


消失

そして、消失という言葉が使われる。水玉模様を並べることによって、そこにある個性を消失させて、様々なものを背景の中に溶け込ましてしまう。もしくは、無限に続く網目によって、全ての消失してさせてしまう。
しかし、この反復による消失は、完全な消失ではないように感じる。つまり、これは消尽ではない。そう、精神的圧迫感からの解放としての行為という側面があるのかもしれないが、そこには、完全な否定はない。
その反復は完全反復ではない。無個性ではない。むしろ、生命のグロテスクさを感じさせるところがあり、そのグロテスクさこそ、生命を最も生命的に感じさせるものであろう。そう、消失しようとしているようなふりをしているのが彼女の作品ではないだろうかと、私には感じられる。


上へ

2階に登ると、彼女が映写された画面で歌っている。すでに、最近の彼女。そして、吹き抜けであるが故に、2階の様子が覗き見える。過去の現在が交錯する。
3階に行くと、瞬くシャンデリアと水玉模様の部屋。水玉模様の部屋は、少し前の六本木ヒルズであったクサマトリックスで展示していた作品だろうか。ここにおいても、消尽というものは無くて、やはり消失的であるにすぎない。完全に放棄したいようで、完全に放棄する気はさらさらないというような。そして、そうであるが故に、むしろ存在を渇望しているように感じる。


貴重

60年当時のこの原点を見るというのは、なんだろうか、この閉塞した日本に対して、何かを言いたげであるようにも感じる。しかし、そのような視点で見てしまうと、ちょっとなんというのか、わざとらしい。むしろ、これを大胆に批判するように鑑賞するのもいいのではないのだろうか。


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