クロード・シモンの大作「農耕詩」を読んだ
クロード・シモン
ヌーヴォー・ロマンを代表する作家の一人で、ノーベル文学賞作家でもあるクロード・シモン。その代表作である「農耕詩」を、結構な時間を掛けてようやく読み終わった。彼、彼、彼
3人の彼が登場する物語。第一部で、その全体像が示唆される展開を示した後に、それぞれの物語が始まる。文章は、読点でつながりながら、長く長く続くスタイルがとられていて、さらに、手紙などが間に挟まれるなど、一方向のみに進むスタイルではない複数の方向性をもつスタイル。
それらが、彼として描かれるスタイルを中心に描かれていて、彼と描かれるが故に、どの彼を描いているのか時に判別が難しくもなる。
読点
その、読点で結ばれ続ける文章だけれども、それは、時にそのリズム感が非常に心地よく感じる一方で、いつの間にか描いている情景が変わってしまっているような、接続点が隠蔽された展開に、戸惑わせることもあり、さらに、そこで描かれる描写は子細に渡っている。このあたりは、さすがヌーヴォー・ロマンの作家という感じで、文章による描写可能性を最大限にまで拡張している。
一体何が
その、子細な描写にかかわらずといっていいのだろうか、この全体が一体何を描きたかったのか、今ひとつよくわからない。それは、文章の難解さ故に、理解仕切れなかったのかもしれない。それとも、端からそんな説明を込める意志がないのかもしれない。この彼らは一体何故、そこに描かれたのか。書かれた
それは、そこに書かれたという事実それのみであり、彼らがただ存在したということに過ぎず、それが、我々の存在であり、それぞれに意味づけをわざわざ見いだそうとすべきではなく、そう、我々は在るのだと、そういうことが基底に在るが故に、このような文章表現が作り上げられたのであろう。大作
しかし、これは大作で、しかも、文章の密度は濃く、読むには高い集中力を要する。この現代に対しては挑戦的ともいえるスタイルの文学。しかし、一方で、こういった文章の世界に埋没することで、むしろ、想像力は刺激されて来るようにも思う。難しい
確かに、こういった文章をより多くの人に読んでもらうことは難しいだろう。それでも、やはり、こういった文章が残り、読み継がれていくことに意義があるように思う。関連リンク:
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