モンテ・ヘルマン監督の21年ぶりの作品「果てなき路」を見た
断絶
ニューシネマの傑作と言れる「断絶」という作品を撮影しながらも、興行的な成功を収めることが出来なかったこともあり、撮影するチャンスに恵まれなかった映画監督、モンテ・ヘルマン監督による21年ぶりの作品「果てなき路」が公開されたので見てきた、イメージ・フォーラムにて。ミステリー
この映画は、ある殺人事件を扱う映画。だが、単純にそれを物語として描くのではなく、その殺人事件を映画として撮影することになった映画監督の物語ともなっている。つまり、実際に起こった事件という現実と撮影中の映画の中の物語とそして、その物語を取っている監督と女優を中心とした撮影クルーが存在して、その三つの物語が絡まりながら進む映画である。なぞ
そして、そのオリジナルとなる事件が事件の内容が明確化されたものではなくて、謎のまま闇に葬られてしまったという事件でもある。そのことに伴って、この映画撮影そのものにも、その事件の陰が入り込んでくることになる。謎のまま
そのような構成の映画なので、かなり謎が深い。まず、その瞬間に映し出されているシーンが、上記の3シーンのうちのどれに相当するのかを判別するのが難しい。さらに、その事件の謎そのものが解明されることはないので、最後まで、一体何が起こっていたのかもわからない。
さらに言えば、映画を撮る映画であるが故に、最後まで、それが現実を映し出しているのか、それとも映画のシーンとして撮影されている状況なのかもわからない。特にエンディングなどは。
その謎こそが
で、きっと、この謎こそがこの映画が表現したかったことなのだろう。過去のスキャンダルなどは、それに関連する人々のその都合とそしてメディアの扱いによって現実はどんどんと歪められていく。その結果として、真実などはもしかするとその当事者でさえ理解することが困難だったりもする。そう、何かを解明することが出来るというのは現像に過ぎないのが現実でもある。
謎解かれず
結果として、この映画の謎は解かれないのだろう。そう思う。そして、この謎を噛みしめるのがこの映画であり、それは、映画の限界を示しつつも、それが映画の可能性でもあるということなのだろう。つまり、真実を超えていかなければ作品ではないと、ただの謎解きは映画表現としてはまだ不足していて真実を捉えきることは出来ないのだろうと。真実
しかし、それでもわからないのは、この映画のエンディングに、この映画は真実の映画だと最後にキャプションで示されるところ。それは、この映画を元に何かを間接的に示唆していると言うことなのだろうか。
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モンテ・ヘルマン21年ぶりの監督作『果てなき路』オフィシャルホームページイメージフォーラム・ダゲレオ出版/シアター・イメージフォーラム
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