奇才という言葉にだまされて ラナーク



スコットランド

今回紹介するのは、スコットランドの小説家 アラスター・グレイ の処女作である、ラナーク。本国では、1981年に最初に出版された作品。帯の大々的な宣伝文句に思わずだまされて、読んでみることにした。


実験的?

一応、様々な側面から、実験的な作品ということらしい、というところが惹かれた一因であったのだけれども、ふたを開けるとそうでもない。
第三巻から始まって、第一巻にいって、第二巻、第三巻という順番になっている、というところが、実験的らしいのだけれども、まぁ、特に目新しい事でもないと思う。それから、途中で、作家が出てくるというところに、若干のメタ文学性を持たせているつもりらしいのだけれども、これも、特に、目新しくもない。あとは、第一、二巻は散文的な青春小説風で、第三、四巻は、SF小説的でという組み合わせもまぁ、特段というところ。それから、近未来的な部分にユーモアを付け加えているようにも思わせるところがあるが、それほどでもない。これで、実験的と呼ぶのは、売るために苦労していると捉えるか、現代の文学環境が非常にプアな状態になっていると捉えるかどちらかだろう。


私の感想

というような、不満をまず述べた後に、ここから、さらに作品を掘り下げていこうと思う。ちなみに、まずは、私のこの作品に対する立場を明確にしておくと、それほどたいした作品であるとは、どうやっても思わない。という立場です。それどころか、随所に粗が見えて、駄作といってもいいかもしれないとさえ思うというのが、私の率直な感想。


もう少し詳しく

で、まぁ、そう私が感じる理由を少しずつ書いていこうと思う。
青春小説編
まず、第一巻と第二巻の内容に展開されているソーの物語を議論する。どこか、「若き日の芸術家の肖像」を目指しているのだろうかとか、ヘンリー・ミラー的にでも表現したいのかというほどに、多少衒学的に表現してみたり、より破滅していく姿を描こうとしてみたり、一方で意志の弱い人間を描いているような様子を見せてみたりするのだけれども、どれも中途半端な焼き増し感の外には出ない。まあ、そこが中途半端な事ばかりして、どうにもならない、ソーと重なってくると言う強引な接続を試みて賛辞を送るということもあり得るのかもしれないけれども、まぁ、それは皮肉にしかならないだろう。
何となく、この描き方に気持ち悪さを感じるのは、半自伝的ということもあってか、人物像が一貫していないところ。ソーを甘やかしているようで、一方で、そこに極端な様子をくっつけることで、無理矢理なグロテスクな印象を付け加えようとしていて、何を描きたいのかさっぱりわからないというか、感情の展開がただ作為によって両側に無理矢理にふられるだけになっている。描きたい感情があって描いていると言うよりは、強引なイメージにむりやり物語をつなげているという印象。結果として、客観性に繋がらない一貫性のなさになっていて最悪。なんとなく、カフカアメリカのような物も感じさせるのだけれども、やはりそこからは遙か遠い。いずれにせよ、過去の文学作品の様々な要素を感じさせるけれども、それを全く消化しきっていないような印象しか受けなかった。
SF編
次に、第一巻と第二巻で描かれるSF的な近未来小説。これが、また残念でならない。何故太陽が昇らなくなったのか、何故龍に変身するのか、何故時間が失われた空間が出来るのか、何故それでそこまでのエネルギーが生み出せるのか、そこにある社会システムは何故そのようになっているのか。このあたりのことに対する説明を全くしていないというのは、これはいただけない。というか、全般的に説明責任を果たしていないし、そこに在るべき力学が明確になっていない。つまりは、漫画的な物を文学的に表現したということなのかもしれないけれども、それは、テキストによる表現に依存する文学にとっては、致命的な失敗のように思えてならない。そもそも、そのあたりの非現実的な様相の部分の因果関係が明確にならなければ、それぞれの事件に対して、読者側は何も感じることが出来ない。というか、考える要素が全くなくなってしまっていて、ただのお話に過ぎないレベルになっている。そこからは、何も生み出されない。どのような議論でも可能な状態になってしまっている。だから、ラナークなんてどうでもいいし、評議会なんてもどうでもいい。どちらが支配的な問題点なのか、どちらが、ただの困惑者なのかもわからない。ラナークの動きにしても、お話を展開させるために、無理矢理様々な立場に移動しているだけだし、さらに言えば、必然性の無い様々な状況は、それも、ただ、作者の好き放題に物語を進めた結果としか言いようがない。だけれども、本来は、物語が始まったとたんに、作者は、神でも王でもなくなって、そこに現れる場面も、そして、登場人物も、ある程度のコントロールまでしかな出来ないはず。そこを無視していては、全てが意味をなさなくなっている。で、さらには意味が為さなくなっていることに意味を持たそうという立場になっている訳でもないというところも残念。
で、そこからの続きで言うと、作者が登場するところがあって、そこに読者と作者の関係を描いているつもりのようだけれども、この内容を読んだだけで、作者の考え方が明確になっていて、私の小説に対する価値観と作者の考えているそれが全く違う事が明確になっている。王と表現しているところもそうだし、どこか、コントロールが大幅に可能であるという意識を持っている要すなところが問題。作者には、作品に対して、それほどの力は持ち合わせていないという事を認識すべきではないだろうか。
結局
結局は、この作品を読んでいると、この作品は、作者の事だけを書いた作品のように思えてくる。ソーとラナークの中途半端さというのは、結局この作品の中途半端さとも繋がっているところがその最大の要因。つまり、ソーは他の学生とは異なる才能を持った人間で、何かを成し遂げたわけでもなければ、ラナークにしても、制度に革命を起こす人間ではなく、何かを成し遂げたわけでもないという。そして、この作品そのものが、実験的な作品だとかなんとか前口上は大々的にもかかわらず、大して衝撃を受けるような内容になっているわけでも無いというあたり。そこまで、狙って書いていたとしても、それでも大した作品とは言い難いところが、これが最大の欠点で、つまり、そう狙っていたとしても、その狙いが一体、何を成し遂げるかというと、ただ、意表を突いて喜んでみたという事以外にはなにも無いという状態になるだけ。
なので、私の感覚からすると、どう捉えても、いい作品とは感じることが出来ない。


大作だけれども

本としては、二段組で七百ページ近いので、なかなかの大作だけれども、上記のように、厳密な記述が少ないので、いちいちいろいろと考える必要はなく読み進めることが出来ることから、かなり、あっという間に読めてしまう。それほど、ハードな読書をしない人にとっては、文学の入口というところで、読む価値はあるかもしれないが、私自身は決してお勧めしない作品です。


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ラナーク―四巻からなる伝記
発売元 : 国書刊行会
発売日 : 2007-11 (単行本)
売上ランク : 11829 位 (AMAZON.co.jp)
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評価平均 : /2人
叙事詩でなければ書く価値はない --アラスター・グレイ
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