B.H.レヴィ サルトルの世紀

生誕100周年もあって出版された 新進気鋭哲学者、
ベルナール=アンリ レヴィ の書いた「サルトルの世紀」をやっと読了しました。

・概要
内容的には、サルトルの思想がどのように展開されていったのか、
をその矛盾や功罪、天才加減、影響力などを自由奔放に
論じたというところ。文体そのものも厳密さは感じられなく、
ところどころ、本当にそうなのだろうかと思うところや、
著者の我田引水ではと思うところも見受けられるが、
ただ、おそらくそのように自由奔放に論じることが、
サルトルの奔放さを表現するにはもっとも適しているという
思いもあるのだろうし、厳密に論じることは困難である
スキャンダルさ加減がサルトルそのものだというところもあるのだろう。
奔放に表現されているだけに、800頁超という分量の割に
読みやすいという点もある。きっと厳密に論じられていれば、
最後には訳がわからなくなるだろうし、おそらく、読み切れない。

・20世紀哲学史
この作品の面白さは、サルトルについて論じる展開が
様々な哲学者や政治家、思想家を参照するが故に、結果的に
それぞれの哲学者や政治家、思想家のそれぞれの立場、構図が
自ずと理解できてくる点が、結果的に20世紀の哲学史をわかりやすく
理解することが出来るという副産物を産み落としているという点も
見逃せないこの書のすばらしい点だろう。

・最大の疑問
サルトル晩年の書「言葉」に対する言及で、
言語に対する不信の表明のようなことを言っているのだと思うが、
そのような議論であるにも関わらず、もっとも言語に不信感を持ちながら、
言語で表現し続けたベケットにこの書では全く言及していないのは、一体何故なのだろうか?
ベケットを持ち出すとあまりにもサルトルの気づきが遅くまた規模も小さいことが
判明してしまうからなのだろうか?それとも私自身の認識の誤りなのだろうか?
この部分は非常に大きく疑問が残るところだった。

・理想郷
結果としてサルトルがたどり着いた理想郷としてユダヤ社会が提示されているのだと思う。
この社会はつまり誰もが緩くつながった共同体であることにもっとも大きな意義があると。
確かにそうだろう。そして、ユダヤ人は流浪の民であるが故に、安部公房も指摘のように
都市的であり、個人と社会の関係をもっとも冷静に眺め、感じている人である場合が
しばしばあり、結果としてカフカカネッティ
といった希有な作家を生み出してもいる。
この理想郷の感覚は非常に重要な指摘であり、私自身はこの感覚にたどり着いたことは、
まさに実存主義が奥地へとたどり着いた瞬間ではないかと思う。

実存主義
そう、この書はまさに実存主義の書なのだ、というのが私自身の結論である。
初期から中期にかけてのサルトルおよびその周辺の哲学者に対する言及は、
まさに実存主義入門にうってつけであると思うし、そして、先述の最後の境地は、
実存主義の新たな展開といって良いのではないのか。
私自身はこれを修正実存主義と呼びたい。
そもそもの実存主義が価値の崩壊した状態に対して、既存の価値(神)などから
与えられた存在様式などはなく、存在は自らによって存在させるものであり、
その場を提示して開け拡げるものだとして、無から立ち上がる力を提示した
とすれば、この修正実存主義は、価値が多様化した中で依然として、
多数決の原理に包まれている困難な状況を打破する力を提示するものだと思う。
より在るべき姿は、権力に対する権力による共同体の取り替えではなく、また、
共同体の解体であるわけでもなく、緩やかに結びついた共同体であると。
それは、ネット社会によっても構築が容易になった側面があるのかもしれない。

・終わりに
いや、我田引水が過ぎた最後に私が書いたことは別にして、とにかく、
この書は面白い。普段はなかなか出来ない哲学議論が満ちていて、
とにかく、分量は多いがなるべく多くの人にがんばって読んでほしいと思う。

サルトルの世紀(AMAZON)
「サルトルの世紀」について