パスカル・キニャール時を巡る論考「いにしえの光」

パスカルキニャール

フランスの小説家パスカルキニャール。小説家という要素もあるけれども、哲学者というのか思想家というかという要素も強い。
今回は、「最後の王国」と第されたシリーズの作品「いにしえの光」。
これも、思想集という感じで、このシリーズに貫徹した物語があるわけではない。

いにしえの光

この作品は、そのタイトルからも想像される通り、時間に関する思考集。
時間というのは、2つの捉え方があって、一つは物理的に過去から連続しているそれ、
もう一つは、生命の生死に関わる存在という側面。
この2つの要素が絡まりながら様々な時間に関する思考や事例が紹介されていく。

性的な

とくに、生命的な要素の時間が言及されているというのは、性的な要素が時間と関連させて表現されているところからわかるだろう。
始まりとしてのそれ。一方で、恍惚=脱自という、その始まりの瞬間は時間の喪失のようでもあるというところ。
そもそも、認識という行為を経て存在が存在となるわけであり、絶対的なようで相対的なのが存在であり、時間である。

いにしえ

そしてその時間への論考であるがゆえに古くの物語なども言及されている。
面白いのは古代ローマなどにとどまらず、日本の古典にも言及されているところか。
その文化に関わらず、そこにある時間に関する感覚を持ち出そうとしている。

不定過去

もう一つ、この作品の中でよく出てくる言葉が、不定過去(アオリスト)。
ギリシャ語の文法用語であるのだけれども、それが、ただ過去を示すそれであり、ある意味では定理とも理解できる言葉であることから、
この時間に関する作品の中では、象徴的な単語として出てきているのであろう。
過去の蓄積としての不定過去なのか。

その終わり

そして、最後に用意された物語。
名古屋をそのまま理解して、日本ととっていいのであろう。
時間の強制終了に対して、過去を受け継ぐことによる時間の継続が表現されているそれ。
過去を蓄積として、どのように不定過去にしていくのか、一方で変化もしていく。
組み合わせの変化に過ぎないかもしれない変化。
時間を以下にして継続していくのかということに繋がる論考であると思われる作品である。